高木 幹夫(たかぎ みきお)さん

高木 幹夫(たかぎ みきお)さん

COREZO 「あいちの伝統野菜を絶やすことなく残したい、商売ではなく、趣味として、35種全種を育て、種子採りをしてきた元JA職員」 賞

高木 幹夫(たかぎ みきお)さん

プロフィール

高木 幹夫(たかぎ みきお)さん

あいち在来種保存会 代表世話人  

日本伝統野菜推進協会 顧問

岐阜県立国際アカデミー 非常勤講師

日本野菜ソムリエ協会 講師

受賞者のご紹介

あいちの伝統野菜とは?

高木 幹夫(たかぎ みきお)さんは、あいち在来種保存会の代表世話人。愛知県大府にある、あぐりタウン「げんきの郷」でお目に掛かって、話を伺った。

愛知県は、温暖な気候と豊かな水や土に恵まれており、古くから野菜づくりが盛んで、江戸時代には、全国各地からさまざまな野菜やその種も集まってくるようになり、尾張地域を中心に種や苗を育てて、農家に売る種苗業者が生まれた。

知恵と技術を結集し、優れた品種を作り出して全国の野菜づくりに大きく貢献してきたが、近年、種子屋が専業化し、農作物のF1化が進み、在来種である伝統野菜をつくる農家が減り、店頭に並ぶことも少なくなった。

これらの野菜を歴史的・文化的遺産として残し、また、再び身近な野菜として利用してもらうために、

  1. 今から50年前には栽培されていたもの
  2. 地名、人名がついているものなど愛知県に由来しているもの
  3. 今でも種や苗があるもの
  4. 種や生産物が手に入るもの

以上4つの定義を満たす、 35種が愛知の伝統野菜として、選定されたそうだ。

あいちの伝統野菜 35種

宮重(みやしげ)だいこん、方領(ほうりょう)だいこん、守口(もりぐち)だいこん、

八事五寸(やごとごすん)にんじん、碧南鮮紅五寸(へきなんせんこうごすん)にんじん、木之山五寸(このやまごすん)にんじん、

八名丸(やなまる)さといも、八名丸(やなまる)さといも、

愛知本長(あいちほんなが)なす、天狗(てんぐ)なす、

青大(あおだい)きゅうり、

ファーストトマト、

愛知縮緬(あいちちりめん)かぼちゃ、

渥美(あつみ)アールスメロン、落瓜(おちうり)、金俵(きんぴょう)まくわうり、かりもり〔堅瓜(かたうり)〕、早生(わせ)かりもり、早生(わせ)とうがん、

野崎2号(のざき2ごう)はくさい、野崎中生(のざきちゅうせい)キャベツ、愛知大晩生(あいちだいばんせい)キャベツ、

餅菜(もちな)〔正月菜(しょうがつな)〕、大高菜(おおだかな)、まつな、治郎丸(じろうまる)ほうれんそう、

愛知白早生(あいちしろわせ)たまねぎ、知多3号(ちた3ごう)たまねぎ、養父早生(やぶわせ)たまねぎ、

越津(こしづ)ねぎ、法性寺(ほっしょうじ)ねぎ、

愛知早生(あいちわせ)ふき、

渥美白花絹莢(あつみしろばなきぬさや)えんどう、十六(じゅうろく)ささげ、姫(ひめ)ささげ、白花千石(しろばなせんごく)〔ふじまめ〕

JA職員として種子採りをしていた

―あいちの伝統野菜をつくられるようになられたのは?

「1971(昭和48)年、大学を卒業して、地元の小さなJAに就職しました。JAに入ると農産課の営農指導員に配属されます。」

「当時はJAで母球を選んで種子採りをして組合員の農家に配っていました。知多半島で生まれた在来種の玉ねぎが色々あって、大府の方では知多3号とかですね、近隣の他のJAと協力して、親になる母球を選んで、お互いに種子を採り合っていたんですね。」

種子採りは専門業者に

「種子採りには、手間と労力がかかるので、それから何年もたたないうちに、専業の種子屋さんから種子を買うようになりました。」

「当時、種子から栽培していましたが、今じゃ、皆んな、苗を買って植え付けているでしょ?自家採種して、種子を播いて、苗を育てて、そんなことをしていたら、採算が合いません。時代はどんどん変化しています。」

「そのうちに、日本人が受粉、種取り作業をしていたらコストが合わないので、日本の農産物の種の90%以上が外国産になりました。海外のミツバチや昆虫の影響を受けないぐらいの広い農地で大規模に種子採りをしています。」

「たまたま、愛知の伝統野菜と呼ばれている野菜も、元を正せば、在来種の野菜で、兵庫在来種保存会や江戸東京野菜、金沢の北陸野菜とかは、一応、在来種です。」

京野菜のほぼ90%近くは、外国産のF1の種子

「でもね、聖護院かぶは、京野菜の代表格で、千枚漬けとかを作りますけど、種子採りに行ったら、友人がF1だと云うんですよ。」

「聖護院かぶを千枚漬けにするのには、なるべく、丸くて白い方がいいですから、原種を使うと形が悪いし、色も茶色いので、F1化されて、種子屋さんが作っているんです。生産効率を上げ、収益を増やすため、京野菜のほぼ90%近くは、外国産のF1の種子になっていますし、在来種であっても種子は、ほぼ外国産です。」

「今、日本に入ってくる種は、発芽率は、75%とか、原産地がメキシコとか、表示されていますが、生年月日、種取りした日は書いてないと思います。膨大な量が輸入されるので、サンプルを摂って、発芽率を確認することしかできないのです。」

儲かる伝統野菜は、F1化される

「桜島大根もF1化されていますし、儲かる伝統野菜は、F1化されますが、そうでないのは、放置されるので、種が途絶えていきます。」

「農業に関係のなかった僕みたいな者が農業に携わるとおもしろくて、今、もう既に世の中にはなくなってしまった種もたくさんありますが、種を絶やしたくないという思いで在来種の種子採りは続けてきました。でも、お金になった試しはありません。」

伝統野菜を残していきたい、と云う気持ち が芽生えた

「僕は畑を持ってなかったので、そう云うことが好きな農家さんと手を組んでやっていました。せっかく知多で生まれた玉ねぎなのに、新しいF1のモミジとかの品種にどんどん、置き替っていましたが、中には、昔からの知多3号がええわ、って細々と育てている農家さんがいて、残していきたい、と云う気持ちで始めました。」

「時々、料理人から、今、愛知の伝統野菜は、何がある?って、問い合わせがあって、そういう方がいてくれれば、僕のやっていることは、それでいいのかな、とも思います。」

「あとは、若い人やいろんな人が伝統野菜を作りたいから、種子を分けてもらえませんかとか、来ますけど、基本的には来る人は拒みませんけど、ただ、話を聞いていて、あまりにもかけ離れた考えとかの方は、ご遠慮いただきます。」

「新聞やメディアの方から、どうしてこんなことを?って聞かれますが、趣味ですよとしか云いようがないし、趣味以外の何モンでもありませんし、僕の場合、伝統野菜をやることで、人との出会いや繋がりが増えたから、続けているのかな、とも思います。」

野菜ソムリエ資格を取得

「JA時代、北海道から沖縄まで、友達がたくさんいたけど、縦系列の繋がりしかありませんでした。野菜ソムリエという資格を取ったことで、人とのご縁が横方向に広がり始めました。」

「JAに長くお世話になって、素晴らしいところだと思うけど、JAで学んだことより、JAを離れてから学んだことの方が大きかったですね。今は、横の繋がりができて、いろんな方と知り合えることが有難いですね。」

―野菜ソムリエ資格を取得されたきっかけは?

「病気をしなかったら、こんなことはやってなかったかもしれませんね。実は、51〜2の時、4月の人事で部長になって、4年後には役員だなんて、勝手に思っていたら、その2月に心臓と脳が同時に爆発しちゃって、それで、半身不随になり、言葉が喋れなくなるし、字を忘れて、読めなくなって、2カ月ちょっとで退院したんですけど、当然、組織ですから、窓際に追いやられますよね?」

「字が読めないから、リハビリのつもりで、毎日、日経新聞、サンケイ新聞、日本農業新聞を一生懸命読んでたら、日本農業新聞だけは、30数年、農業に関する言葉が、たくさん入っているので、農業に関わって来たからか、ある程度読めたんです。」

「それで、野菜ソムリエの資格があるのを知って、別の道で生きることも考え、試験の勉強を始めて、当時、全国で7人しかいなかった頂点のシニアプロソムリエまで取得しました。」

心筋梗塞で緊急手術

―文字の記憶がなくなった?

「心筋梗塞で緊急手術して、3日目に医師が来て、すぐに退院だからって云われたので、手帳を開いてみたら、全く読めない、それで、脳に異常があるのがわかって、その後、頭に激痛が走りました。」

「脳内出血でした。左の脳に漢字を記憶する中枢があって、そこが弾けて、ひらがなとカタカナと数字はだいじょうぶでしたが、漢字は読めなくなりました。英語も結構勉強したのですが、全部消えてしまいました。」

「人間の脳は、よくできていて、出血した脳の部分は死んでしまっても、他の部分と神経の回路が繋がって、補填してくれるので、漢字は、全部覚え直しました。」

―身体には障がいは残らなかったのですね?

「おかげさまで…、でも、言葉がなかなか出てこなかったり、というのはありました。」

「JA時代、上が白でも赤と云えば、赤で、白とは云えない組織した。ノルマに追われ、心筋梗塞、脳内出血で入院した時には、医者から病気の原因はストレスだと云われました。退院後、食事療法を徹底し、お酒も制限したら、返ってストレスになって、適量ならいいよ、って云われたので、今は、適量嗜んでいますよ、ハハハハハ。」

あぐりタウン『げんきの郷』

―定年までJAに?

「いいえ、その後、2年間、窓際にいて、福祉関係部署の課長になり、JAには、定年間近までいて、この施設に転籍しました。かつて知多半島は、大根、玉ねぎ等の重量野菜の生産が多かったので、このままでは、農業が終わってしまう危機感があり、地元の農家意見を聞いて、この直売所がつくられました。」

「このあぐりタウン『げんきの郷』は、JAあいち知多が100出資した株式会社で、直売部門、加工・食部門、温泉部門があります。2000(平成12)年にオープンして以来、ずっと右肩上がりで、年間220~30万人の集客があり、全国の施設では、22位(1位はTDL)、東海3県では、第7位でした。」

「僕がこの施設に呼ばれたのは、右肩上がりが止まり、横ばいになったオープン8年目でした。当時の社長から、10周年を迎えるにあたって、このままでは失速してしまうので、なんとかしろ、と云われました。」

再生産価格こそが最低販売価格

高木 幹夫(たかぎ みきお)さん2
あぐりタウン『げんきの郷』

「当初のコンセプトは、再生産価格で販売する、でした。再生産価格とは、このキュウリ1本いくらで売ったら、来年、また、作って売れるかという価格です。市場価格が安い、高いは関係なく、再生産価格こそが最低販売価格でした。」

「豊作で安い時に来たお客さんから高いね、不作で高い時に来たお客さんから安いね、って云われますよ。でもね、安いね、高いね、のお客さんは、要らないと決めたのがこの直売所の出発点です。」

「直売所は、何を並べても売れていましたが、売価相応の品質ではありませんでした。直売所の品揃えやクオリティは、検査員の技量そのものです。この直売場は安くないね、と云う客は要らない、見て、価値をわかってくれる方だけにターゲットを絞ろうと、厳しい検査を実施し、なんでこんなに高い?なんでこんなに安い?ということをずっと続けてきました。」

農家が儲かる仕組みをつくる

―周囲に直売所はなかったのですか?

「いいえ、周囲にも同じJAが運営しているコープや直売所はたくさんありましたが、ここが一番売れるので、売りたい農家が多かった。再生産価格より安い理由を尋ねると、モノが悪い、ならば、持って来ないで。再生産価格が高い、こんな値段は付けられない、選別を厳しくするなり、包装を良くするなり、量を増やすなり、減らすなりその値段で売れるよう努力したら…、色々、指導しました。」

「実は、JA時代にも直売場を多くやっていたのですが、どうしても最後は勝てません。それは、俺は組合員だ、と云う人たちが口を出すからです。」

「でも、ここは株式会社なので、一切、相手にしませんでした。安売りはせず、最低販売価格を設定しました。販売統計を調べて、例えば、500円以上の苺しか置かないと決めると、農家は良いものを作らざるを得なくなります。脅迫電話や無言電話まで自宅にかかってきました。」

「安売りをしていては、農家は儲かりません。有機無農薬でこれ以下では売らないと言っておきながら、売れ残ると、値引きして販売するのも、ダメです。」

「まっすぐなきゅうりと曲がったキュウリの味は一緒でしょ?なんて云う人がいるけど、僕が云いたいのは、下手くそだから曲がる。二股の人参、有機無農薬でやってるから、なんで云う人がいるけど、僕の友人も有機無農薬で作っているけど、綺麗な人参を作りますよ。大根やキュウリ、有機だから曲がっていても仕方がない?それは下手くそだからですよ。」

「日本で初めて有機農法をやられた方がいらっしゃって、その方の元で、3ヶ月間、勉強をさせてもらったのですが、有機無農薬自然農法は素晴らしいと思ったけど、生きていくために、お金になりません。」

「JAの買取の仕組みでは、良いものを作っても買取価格に反映されないので、どんなに反発されても、農家が儲かる仕組みを作るという決意がありました。」

売ることを目的としてつくる

「モノが悪くて注意するとイエローカード、2枚貯まると10日間取引停止処分に、それを何回か繰り返すと、レッドカードで除名にしました。できたものを売り場に並べるのではなく、売れるものをつくる、量の多い少ないは関係なく、売ることを目的としてつくる、売り場には、商品が欲しいということを伝えてきました。」

「JA時代に大百貨店と取引をして、契約した50個の内、納期に49個しか納品できなかった。1個ぐらいとか、JAなら組合員さんの事情を考慮して、とか、どこか甘い気持ちもあったのでしょうね。当然のことですが、厳しい処分を受けました。ビジネスの何たるかを学んだのですが、その時の経験が活きたと思います。」

「僕のことを嫌っていたほうれん草農家から、他のほうれん草農家より高い値段で売れるようになって、お前が言ってることがよくわかった、と云われた時は、少し救われましたね。」

あいち在来種保存会

―あいち在来種保存会とは?

「伝統野菜保存会は全国にありますが、全て点なので、これを線で結んだら、素晴らしい組織になると思い、2013年にあいち在来種保存会を立ち上げました。」

「ところが、僕を除いて、そんなことをやるのは、変人ばかりなので、そんな変人を線で結べる訳がない、ハハハハハ。」

「線で結んだら、永遠に残っていけるのかもわかりませんし、点であるからこそ強く生きていけるなら、僕は、点でいいと思いました。人それぞれ想いがあるからこそ、それぞれが地元でやっていけばいいのかな、と思っています。」

「実は、営農指導員時代、畜産農家と稲作農家をJA主導で組織化しようと云う動きがありました。でも、旧来、牛糞を棄てるところがなくて困っていた畜産農家は、田んぼの農家と手を組んで藁と交換していたという結び付きがありました。そういう結び付きを有機的結合と称してJAがやろうとしたのですが、下手に手を入れると、昔からあった組織、仕組み、これまでの結び付きを切ってしまうことになります。新たな線で結ぼうとすると、昔からの線が切れてしまうこともあるので、余計なことをするな、ということでしょう。」

愛知県は、条件の揃った素晴らしい農業県

―愛知は自動車産業が盛んな工業県であると同時に農業県ですよね?

「そうです。愛知県は、農業生産高が6位、濃尾平野 農地があって、川があって、海があって、とにかく条件の揃った素晴らしい農業県です。歴史を紐解くと、江戸時代、尾張には、全国の種子屋が集まってきました。青首大根のルーツは、愛知の大名が参勤交代で江戸に手土産で持参した清須の『宮重大根』だったと云われていいます。」

在来種には掛け戻す力がある

「今、種子は高いですけど、それがメリットを産めばいいんですよ。在来種でも、例えば、『治郎丸ほうれん草』は、揃いが悪く、病気に弱いから、誰も作らないけど、僕は、種子を残すために、自分で作って、美味い、って食べてますよ、ハハハハハ。」

「僕はずっと何年も種取りして、いろいろ保存していますが、保存用の冷蔵庫とかは持っていません。撒いてもほとんど芽が出ない種もありますし、一昨年でしたが、ちりめんカボチャなんかは、交雑してしまって、ちりめんカボチャじゃなくなり、諦めかけていたら、2010年に採った種子が出てきて、撒いてみたら、これが全部発芽して、ちりめんカボチャの種採りができるようになりました。」

「伝統野菜の種子を残して、栽培すると云うのは、こう云うことの繰り返しですね。僕には、そう云うのが、おもしろいし、楽しいんですよ。」

―在来種には掛け戻す力があると聞いたことがありますが?

そうです。在来種には掛け戻す力があります。普通は掛けて進むのですが、例えば、愛知県伝統野菜の方領(ほうりょう)だいこんは、白首で、太くて必ず曲がるのですが、カブラのような味がして、すごく美味しい。」

「昔、つくり続けていたら、曲がらずにドンドン真っ直ぐになってきて、その中のできるだけ曲がっているのを探して、種子を採って育てる、ニンジンでも何万本も採れた中から、元々の形質を持ったのを選んで、種子取りをして植える、このような地道な作業を繰り返して、昔の姿に戻すことを掛け戻しと云います。」、

地産地消とは?

―地産地消に繋がりますね?

「知多3号は、在来種とかF1とか関係なく、美味しいとか不味いとかではなく、好きですね。同じお日様、同じ雨を浴びて育った地元の在来種のタマネギは、同じ土地で育った僕と最も近い、それが地産地消なんですよ。」

「この辺りだと、『碧南鮮紅五寸にんじん』ですね。それをF1化したのが『碧南美人』ですが、優秀な在来種をきちんとF1化できる種屋さんの力はすごいと思いますよ。」

「親は、『碧南鮮紅五寸にんじん』の親は、『八事五寸(やごとごすん)』です。さらにその親は、江戸東京野菜の『馬込三寸にんじん』と云われています。」

「人間は脳で美味しさを感じるので、僕なんかは、『碧南鮮紅』より大府の在来種の『木之山五寸』の方が美味しいと思っていますよ。」

「でも、名古屋市でつくられた『八事五寸(やごとごすん)』を大府でつくると不味い。その土地、土地の風土に合ったにんじんに育っているからで、特に在来種はそうなります。」

在来種とF1

「その点、F1は、どこでつくっても画一的で、均一な同じ味になります。『桃太郎』と云うF1トマトは、皆んな美味しいって云うのは、どこでつくっても、食べても、『桃太郎』で、食べ慣れているからです。」

「今売っているファーストトマトは全部F1ですが、昭和3~4年に渥美で産まれたファーストトマトの原種(在来種)を手に入れてつくったら、これが美味い。」

「カメムシ、カブトムシ、コガネムシ、カラスなんかが、隣の真っ赤なF1トマトには見向きもしないで、まだ青くて固い内からがガンガン食べに来る。僕らも朝早くから行って、カラスと取りあいですよ。」

「トマトの検査員をしていたこともあって、在来種の頃は、10円玉があればよかった。トマトは先から赤くなるのですが、10円玉より赤い範囲が大きいとB級品でした。というのも、流通する内に完熟するからでした。」

「青い内から甘さののったのが本来のファーストトマトで、当時は真っ青な内に収穫していました。こういうのが、地元ならではの伝統野菜の地産地消の姿です。」

「F1があるからこそ伝統野菜が守られている側面もあって、桜島大根もF1化されていますが、掛け合わせる原種は守られています。儲かる伝統野菜は、F1化されるが、そうでないのは、放置されて、種が絶えていきます。」

「ブルームレスきゅうりとか、トゲのないナスとか、いろいろ新しい品種が増えて、今の食生活を豊かにしてくれているし、農業生産者の生活を守っていくためには、F1種は必要だし、そういう種を育てて提供してくれる種子屋さんも素晴らしいし、有機農法や伝統野菜にこだわって、在来種ばかりを扱っている方も素晴らしい。それらが上手くかみ合っていけば、丸く収まると思っています。」

旬感知多半島

―長田さんたちと取り組んでおられる「旬感知多半島」は?

「『旬感知多半島』は、旬の知多半島の海の幸、山の幸を使った料理を堪能してもらう食のイベントですが、会費8000円で始めようとしたら、こんな田舎で高すぎるとか散々、云われましたけど、直売所と同じく、それをわかって楽しんでくださる方々にお声掛けしたら、今じゃ予約が取れません。」

あいちの伝統野菜を絶やすことなく残したい

―今後は?

「もっと『あいち伝統野菜』を知ってもらえばいいな、と思っていて、『旬感知多半島』の他にも、例えば、二子玉川で江戸東京野菜とあいち伝統野菜手を組んで、料理を作って振る舞うイベント等、各地のイベントに取り組んでいます。」

「種子を売っているわけではないし、たまにいいのができれば、何百円で販売するような世界でやっていますから、こんなことやっていて儲かるわけがありません。」

「それで商売するノウハウがなかったのが幸いしましたね。もし色気を出して、伝統野菜の種子を売ろうとか、できた農産物を高く売ろうとか、やっていたら、続かなかったし、逆にそれを商売にしなかったから、40年以上続けて来れたんだと思います。」

「愛知県が数年前、愛知の伝統野菜35品種を選定したのですが、僕は、35品種全てゲットして、全部自分の目で見て、実際に育て、種子採りをしてきたということが、今までやって来て、唯一自慢できることです。」

「伝統野菜、在来種、食の問題や農薬の問題、色々ありますけど、細かい話は本人に任せて、その当人が自分の思いを持ってやればいいのであって、僕は、伝統野菜の種を残していきたい、と思っています。」

COREZO「あいちの伝統野菜を絶やすことなく残したい、商売ではなく、趣味として、35種全種を育て、種子採りをしてきた元JA職員」である 。

最終取材;2019.11.

初稿;2019.01.

最終更新;2019.01.

文責;平野龍平