秋吉 祥志(あきよし しょうし)さん/熊本県小国町職員

COREZOコレゾ「地域活性は人口増加からと、少子化に待ったを掛ける町役場職員の持続可能な農山村づくり」賞

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秋吉 祥志(あきよし しょうし)さん

プロフィール

熊本県小国町出身、在住

熊本県小国町役場 職員

ジャンル

観光・地域振興

地域活性化

持続可能な農山村づくり

経歴・実績

1963年 熊本県小国町生まれ

1985年 小国町役場勤務

2004年 財団法人阿蘇地域デザインセンター 出向

〜2006年

現在建設課 勤務 道路工事などを主に担当

受賞者のご紹介

秋吉 祥志(あきよし しょうし)さんは小国役場の職員。現在は建設課に勤務し、道路工事などを主に担当しておられる。2005年、財団法人阿蘇地域デザインセンター(以下、阿蘇DC)に出向しておられた頃、国のある観光地域振興事業にご協力頂いて以来のお付き合いである。

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2012年、由布院である楽しい会合があり、秋吉さんも仕事を終えてから、小国町から駆けつけて下さった。小国町役場に戻られて以来の久しぶりの再会であった。中谷次郎さんの「湯の岳庵」から始まって、何軒もハシゴをして、夜が更けるまでドンチャン騒ぎをした。

翌朝、一緒に泊まった旅館の広い露天風呂に浸かって話をしていると、阿蘇DCに出向されていた頃は、よく一緒に飲みにいって、「阿蘇の暴れん坊コームイン」のイメージが強かったのだが、今までに知らなかった、「あれっ?ちょっと、こんなおっさんやったかなぁ?」というような意外な一面を見せて頂いた。

その後、阿蘇に行く機会がある毎にお目に掛かっている。

秋吉さんが生まれ育った熊本県小国町(おぐにまち)は熊本県北東部にあり、「小国杉」の産地として有名で、町域の80%が山林でその内の75%が杉の人工林だそうだ。

あと、観光関係者に有名なのが、1997年に開校した「九州ツーリズム大学」。農山村でツーリズムを実践していく担い手やリーダー、コーディネーターとなる人材の育成、および、各地域で求められているツーリズム関連の情報発信センターを目指しているそうだ。

小国町の人口は1985年の約11,000人から2009年には約8,500人となっている。今春、何と、秋吉さんに6番目のお子さんが誕生された。孤軍奮闘、小国町の過疎化、少子高齢化に待ったを掛けておられる。

— 町役場職員としての信念は?

「私は、町役場の職員であり、町民の一人です。すなわち、自分の仕事は地域の自分たちの生活に通じています。今ある問題を今片付ければ、おのずと未来は開けてくると信じて、仕事に取り組んでいます。」

— 秋吉さんの考える地域活性化とは?

「地域活性化は『人口増加』しかないと思っています。少子高齢化なんて言っているけど、あれはまやかしで、日本に住んでいる結婚していない若者が全部子供作れば、人口は維持できるでしょう。」

「問題なのは、日本の将来を担う若者の働く場がないことです。既に、都会は行き詰まっているのに、メディアやマスコミが、都会にヘンな希望を持たせるものだから、今だに、田舎では都会崇拝が行われ、高校を卒業した若者は故郷を捨て、都会へ出て行ってしまいます。」

「おまけに退路を断つかのように、親が『こんな町にいても働き口がないから帰ってくるな』と、ダメ押しをしてしまう。息子や娘は『自分たちはもう家には帰れない』と覚悟し、安い給料で他人に使われ、気に入られないとクビになるのでは、というストレスと戦いながら頑張っています。旅行や外食なんて考える余裕すらないと思いますよ。」

「かたや、『家には帰ってくるな』と子供を都会にやった田舎の親の生活はというと、父親用の高級乗用車に、母親用の軽自動車、農作業の軽トラックと2tトラック、それに、外国製のトラクター、乗用田植え機、グレンタンク付きのコンバイン(刈り取った米を一時貯蔵出来るタンク付の最新型)が車庫にずらりと並んでいます。合計すれば、ざっと1千万円は下らないでしょう。」

「それに、居間には最新式の大型液晶テレビが据わり、家族は、みんな携帯を持って、年に何回かは集落や農協や友人と旅行を楽しんでいます。やれ、お祭りだ、飲み会だと大忙しで、都会に出た子供たちより、よっぽど豊かな生活をしていますよ。」

「日本は高度経済成長が始まる前までは、全人口の8割が農山漁村に住み、わずか2割が都市部に住んでいました。すなわち、農山漁村は8割の人口を養うだけの力を持っていたということです。」

「その人口を養う力を日本人は自らの手で無くそうとしているのですよ。そして、若者が働けない状況を、経済が冷え込んでいるだの何だのと、訳のわからないことをテレビの画面の中でさも偉そうに吹聴して、『厳しいですね』で終わらせているのです。」

— 具体的にどうすれば良いとお考えですか?

「人口の冷え込んだ農山村に都会の若者が移り住める仕組みを作ればいいのではないかと考えています。安心して家庭を持ち子供を産み育てる環境と、歴史のある農山村の土地を守り残していくことができれば、それ以上に何を求めますか?そのために一生懸命頑張ってきた農家の人たちに退職金を渡してあげたいぐらいですよ。」

「仕掛けはですね、都会の若者が移り住むために研修する宿泊研修施設と、リタイアした農家の家や土地、農業機械等を適正な価格で買い取って、貸出や販売をする会社を設立することです。」

「農業を仕事にしたい若者に家と土地が与えられ、歴史が詰まった集落をこれからも残したい住民の願いの両方が叶えられるのではないですか?そうすることで、新たな農業集落の形が生まれると考えています。」

— 地方の皆さんは先祖伝来の土地を他所者に貸したり、売ったりしたくないようですが、その解決法は?

「その問題は、以前にもお話ししたかと思いますが、行政が絡まないと難しいでしょうね。第3セクターでも公社でもいいのですが、公的機関が入ることは信頼の担保となり、土地売買の交渉がやりやすくなるとともに、小国町の土地が他に流出するのも防いでくれるので、一石二鳥だと思います。」

「土地の流出?と思われるかもしれませんが、人口の流出は土地の流出も誘発します。というのも、小国在住の両親が亡くなり、遺産相続となった場合は、都会に出ていった子供たちの名義となってしまいます。そうなると、町が様々な事業展開を行う上で、町に住んでいない人たちの了解をもらわなければならなくなります。田舎から離れて、都会の高い土地単価や物価の相場観で毎日生活をしている人たちは、田舎の土地も同じように考えていますし、自分たちが生活しているわけでもないので、積極的に協力しようとは思いませんよね。」

「まだ今は、小国で子供の頃を過した年代が相続しているので、理解も得やすいのですが、次の世代に渡ったときには、小国町発展の鍵は町外の人が持っているという、自分の国でありながら、他国に決定権があるような、何とも奇妙な状況が生まれつつあるのです。ですから、1日も早く取組みを始める必要があります。」

「また、田舎の歴史のある土地はその土地に住む人が受け継がなければ、歴史は途絶えてしまいます。その土地の物語は、その土地で生活していく中で、語り継がれていくものであり、その歴史が集落や町、村ひいては日本であるという証明になっていると思うからです。」

「というのも、都会では、人口が集中し、生活の利便性を追求してきた結果、次の世代へ引き継ぐべき生活の歴史が切り捨てられ、見捨てられてきました。今なら、まだ、農山村にはそういうものが残っていますが、このまま放置すれば、あっという間に消滅してしまうでしょう。この農山村を存続できれば、その存在こそが、日本国の証明や日本人としてのアイデンティティーの証明、即ち、歴史上の人物だけでなく、日本に生まれた一般庶民が、どう暮らして、集落や村を造り、日本を造ってきたかの歴史の証明にもなっていくと思うのです。」

— とても大事なことですね。どこの地方のどこの地域もが抱える問題であり、ひとつの解決策になるかもしれないですね。是非、実現して頂きたいですね。

「町役場の職員として働いていて感じるのは、誰も町の将来を見据えていないので、それぞれの部署で取り組んでいる政策がつながっていかないことです。大きな問題は国なのか、県なのか、町長なのか、議会なのか、誰をあてにしているのか知りませんが、誰かがやってくれると勘違いしています。私が、先程のような話を同僚にしても、まともに取り合ってくれる者もいません。」

「ただ、私は町役場職員という以前に、小国町の一町民です。町役場職員としてできることの限界はあっても、もちろん職務は全うしますし、地域を持続可能にする構想の実現は、一町民、一一家の長、一父親、一個人として、できることはできるだけやっていきます。」

— 生まれ故郷に対する思いは?

「私の先祖が、流れ流れてたどり着いたのが私の生まれ故郷であるこの場所です。祖先が、何百年間かはわからないけど、見ることのない子孫のために、大事に守り、残してきたこの土地を、これから先も子孫のために残して行きたいと思います。」

「私は、先祖が残してきてくれた小国町に住み、嫁をもらい、子供に授かり、両親と同居し、昔から続く集落の作業や冠婚葬祭を受け継いでいることを誇りに思っています。長男にも家と集落を継いでもらいたいと願っています。」

— その他、持続可能な地域づくりに向けて取り組みたいことは?

「できる、できないは別として、学校、特に高校を開きたいです。学校は地域を明るくし、新しい雇用や産業も生み出します。大人の世界が大半を占める都会の高校より、質も量もすべてが上を行く教育環境が農山村にはあります。」

「全寮制で入学試験はありません。履修科目は、原則自由ですが、単位が取れなければ、留年か退学です。もっと子供たちの自主性を発揮させ、偏った価値観で社会を見ることが無いような教育をしたいです。自分で考え、行動のできる、また、自分のことをよくわかり、自分の考えをしっかりと持ち、自分らしい生き方ができる子供を育てたいです。」

— 秋吉さんのモットー、座右の銘は?

「『人は大事にしなければ、人からは大事にされない。』です。」

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コレゾ賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、

「趣旨には大賛成ですが、まだ、その趣旨に見合うような実績は何もないですよ。」と、秋吉さん。

「でも、お子さんにも家と集落を継いでもらうのでしょ?そのためには、お話しされた地域が持続できるように活性化をして行かれますよね?と言うか、もう既に始めておられると思いますが・・・。コレゾ賞は何の得にも、役にも立たない賞ですが、ひょっとしたら、秋吉さんの考えや活動に賛同してくれる仲間が現れるかも知れませんよ。是非、実現して欲しいという願いも込めてです。」と、申し上げると、

「ハハハハ、そうですね。では、有難く頂いておきます。」と、ご承諾頂いた。

COREZOコレゾ「地域活性は人口増加からと、少子化に待ったをかける町役場職員の持続可能な農山村づくり」だ。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2012.10.

最終更新;2015.03.02.

文責;平野龍平

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