櫻井 亮太郎(さくらい りょうたろう)さん

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COREZO 「 高校から留学、10年間の海外生活経験を活かし、日本の魅力を発信し人材育成とインバウンド誘致を通じて、地元へのUターンを増やす取り組み 」賞

櫻井 亮太郎(さくらい りょうたろう)さん

櫻井 亮太郎(さくらい りょうたろう)さん1

プロフィール

株式会社ライフブリッジ 代表取締役

1973年 宮城県仙台市出身 
1992年 アメリカ、ワシントン州、シアトル、Roosevelt High School卒業 
1996年 イギリス、 ロンドン、Richmond University 国際経営学科卒業 
1998年 ドイツ、デュッセルドルフにてIT関連企業、その後三井物産ドイツ支店に勤務 
1998年 オーストラリア、シドニーにて現地IT企業であるクアンタムソリューションズに勤務後、帰国 
1999年 バークレイズ・グローバル・インベスターズ信託銀行に勤務 
2004年  ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン証券会社に勤務 
2006年 株式会社ライフブリッジ設立 

受賞者のご紹介

櫻井 亮太郎(さくらい りょうたろう)さんは、企業の接遇、CS向上の講師として、大活躍で、その講習を受けさせてもらったことがある。

カタカナを読むだけで発音が上達し、売上アップにつながる独自開発の『カタカナ接客英語・中国語・韓国語』、地域の魅力をSNSやYOUTUBE を通じて世界に伝えるインバウンドプロモーション、外国人目線に立った8カ国語での翻訳等、10年間海外留学、就労、世界33か国を巡った経験を活かし、生まれ育った仙台、東北を始め、日本の魅力を世界へ発信し続けておられる。

中学卒業後、米国留学

―中学を卒業してすぐに渡米されたとか?

「小学5年の時に海外に子供たちだけでいく、宮城テレビ主催の「少年の船」に参加して、仙台港から11泊12日でグアムとサイパンに、渡航したのですが、言葉が通じないって、どういうことかということか、外国と日本との差異を小学生なりに感じました。」

「仙台には東北大学があって、学生や教員に外国人がそれなりにいて、その宿舎が実家の近所にあったので、教員の子供達とのコンタクトもそれなりにあり、英語を喋りたい、外国人と接してみたい、というような外国に対する興味が芽生える素地がありました。」

「当時、インディージョーンズとか、トップガンとか、ハリウッドが元気で、米国しか見えない時代でした。僕が他の人と違っていたのは、フットルースとか学園映画の影響で、米国で高校生活がしたいという欲求が大きすぎて、大学まで待てずに、両親も海外生活の経験がないのですが、説得して、留学斡旋会社を調べて、一緒に連れて行き、紹介された高校に決めました。」

「中学生でしたが、米国の映画や音楽他の文化面と語学に対する興味は人一倍あったと思います。日本の高校に合格するのが条件だったので、4月から8月まで日本の高校に行き、9月からシアトルの高校に入学しました。

私学からパブリックハイスクールに転校

「入学したのは、規模が小さな私学だったので、映画で観てきたような、アメフトのチームとか、チアリーダーとか、ロッカールームとか、パーティーとかがなくて、とても不満でした。いろいろ、情報を調べて、親の知り合いがシアトルにいて、保護者になってもらえたので、2年次には、パブリックスクールに転校して、ハイスクールライフを満喫しました。」

「ホームステイと食費は必要ですが、パブリックハイスクールは、義務教育なので、授業料が無料になったので、親の負担も少しは減らせたと思います。」

英国の大学へ進学

―で、英国の大学に進学された?

「はい、米国では、人種間のぎくしゃくしたところが感じられたので、これもいろいろ調べて、学生の国籍数が100と、一番多く、学びたい国際経営学科のあった英国の大学に進学しました。」

―大学進学後は?

「米国に留学後から、スペイン語も履修していたので、英国の大学に進学後は、スペインによく行きました。そこでドイツ人の友人もできたので、卒業後にミュンヘンに行き、1カ月間、学びたかったドイツ語の語学学校に通いました。」

「語学学校で学ぶうちに、ドイツが気に入って、ミュンヘン、デュッセルドルフ、ハンブルグ、フランクフルトにあった日本の商工会議所の出先機関に英語の履歴書を送って、日本に一時帰国しました。」

ドイツのIT関連企業 に就職

「そうこうするうちに、デュッセルドルフのIT関連企業から連絡があって、電話でやり取りし、英語と日本語ができればOKということで採用され、日系企業にPCのWindowsを日本語化して卸す会社で働きました。」

―その後、シドニーへ?

「ダンスが趣味なんですよ。2年程働きましたが、残業が多くなって、趣味のダンスができなくなったので、ストレスが溜まり、辞めて、ワーキングホリデーを使って、オーストラリアのシドニーに行きました。」

「昼間は、IT関連企業で働き、夜は、知り合いのいたダンスカンパニーに入って、ダンスをして、98〜99年の1年間過ごしました。」

―日本に戻られたのは?

帰国後、外資系企業2社を経て独立

「99年、海外生活が10年になり、日本人のアイデンティティを忘れないよう、日本に帰国しました。就職を探していたら、バークレイズ・グローバル・インベスターズ信託銀行に決まり、IT担当で5年間勤め、その時の上司に誘われて証券会社に移り、2006年に仙台に戻って、株式会社ライフブリッジを設立したんです。」

櫻井亮太郎

―どういうビジネスをしようと?

「ライフブリッジという社名は、ライフは生活ではなく、人生の架け橋というような意味で、海外で留学や生活をしたい方の渡航に手伝いをして、帰国後は、日本で働けるよう、人材紹介するというビジネスをしたくて、名付けました。」

インバウンドマーケット

―インバウンド誘致のビジネスを始められたのは?

「ビジネスモデルとしては面白いとおもいましたが、時間がかかるので、別のビジネスモデルも考える必要があり、33カ国巡って、観光で成り立っている国々を訪れた際に、これって、仙台や東北でもできるよね、とういうのを自分の中でかなり強く確信していました。」

「でも、自分の地元である仙台、東北は、まだ誰からも注目してもらえていないし、知られてもいないので、受け入れ体制を整備して、外に発信することをやってみたいと、起業2年目ぐらいから思い始め、ホテル向けの英語のフレーズとかを作り始めたのがスタートです。」

「インバウンドのマーケットを意識し始めたが、2008年ぐらいからですが、ビジットジャパンのお金も東北にまでまだ回ってきていなくて、その内に、2011年の大震災があり、大ダメージを負った時に、国も地方行政も民間も、観光振興をやろう、という機運が高まりました。」

受け入れ態勢の整備

―今のビジネスのきっかけは?

「ぐるなびが仙台市から飲食店を外国人に紹介するWeb上のマップをつくる事業を委託され、そのキックオフのイベントで、外国人がどういう嗜好で、どういうレストランを選ぶか、という内容の講演依頼されたのが、最初で、それまでに、宮城県や東北の外国人が好みそうなレストランは調査済みだったので、その知見も活かせました。」

「その時の反響が大きかったですね。仙台から、宮城全体に広がり、さらに東北全域に広がり、最近は、西日本からもよく声をかけていただくようになりました。」

―東北のインバウンド状況は?

「東北へのインバウンドの入り込みは、スタートが遅かったので、まだまだこれからです。私の感覚的には、韓国、シンガポール、香港は、原発事故に対してネガティブなので、待ちの状態ですが、台湾、中国、タイ、欧米は、需要があります。」

「日本へのリピーターの方々が東北にも来て下さる傾向があって、受け入れ体制を整備して、売上が上がる研修をしたり、台湾人のインフルエンサーを持っているので、台湾人が来たくなるような情報発信をしています。」

「東北では、自治体、観光協会系、温泉組合系、鉄道・交通系からのオファーが多いですね。JRさんからは、インバンド観光客が増えたので、従業員のCS向上、駅のテナントを管理している子会社からは、売上向上の研修依頼をいただき、請け負っています。」

―具体的な研修内容は?

「外国人に対して怖いというイメージを持っている日本人がほとんどであるのは、日本人として、知っていたので、そこをどうにかすれば売上が上がるという感覚は持っていたので、カタカナ接客英語に繋がるのですが、今のようなブームが来るという想定まではしていませんでした。

東北でインバウンドに人気の地域とスポット

―インバウンドに人気のある施設は?

「東北でインバンドの人気スポットは、蔵王キツネ村ですね。100頭をこえるキツネが放し飼いにされていて、キツネの他、ウサギ、ヤギ、ポニーなどとふれあう事が出来るふれあいコーナーがあり、それが大人気で、平日に行くと、入場者の8〜9割ぐらいがインバウンドです。」

―きつねには有毒な寄生虫がいるのでは?

「野生のキタキツネや犬と野ネズミの間には食べる・食べられるという食物連鎖があり、エキノコックスに感染したネズミをキツネ、犬などが食べると、体内の腸の中で寄生し成虫となり、その虫卵が糞便とともに排泄され、その卵が何かの拍子に人間の口から入ると肝臓に幼虫として寄生してエキノコックス症(肝機能障害)を引き起こすそうです。」

「蔵王キツネ村のキツネは全て人工的に繁殖して慣らしたもので、開園以来、エキノコックスを入れない、感染させない万全の対策の他、毎年、卵検査、駆除薬投与等を実施し、これまで感染したキツネは1頭もいないので、別料金を払えば、抱っこできるようです。」

―地域としては?

「宮城が全体としては多いですが、17年度は、青森、新幹線が函館まで開通したこと、津軽と南部と下北がそれぞれ独自の文化を持っていて、1つの県としてはコンテンツ量が豊富なこと、自然が綺麗なことから、人気があります。」

―「田辺市熊野ツーリズムビューロー」を訪問されたとか?

「ええ、行政の研修で訪れました。熊野古道は、参詣道といっても山道ですよ、その背景にあるストーリーを知らして、歩いてみたいと思わせたのと、生活の邪魔をしないようにして、地元の住民との連携を図っているのは、素晴らしいですね。」

人材育成とインバウンド誘致

―今後の取り組みは?

「人材育成とインバウンド誘致ですね。関西からの来訪客はまだまだ少ないのですが、それは、情報発信をしていないからで、人(量ではなく質)が居ないのが最大の原因です。」

「なので、インバウンド誘致を通じて、Uターンを増やしたい。インバウンドを含めた地域外からの訪問客を増やせば、地域に外貨が落ちるようになり、地域が潤います。地域が潤って、東京と同じレベルの生活ができるようになれば、東京で働き、生活している宮城県や東北出身者もUターンしてくれるでしょう。」

日本は、どこの地域にも異なる文化がある

―今後もインバウンドは増えますか?

「オリンピックで一つのピークを迎えて、翌年は反動で下がるでしょうけど、また増加に転じると思います。それは、日本に来たことがない外国人はまだまだ山ほどいるからです。」

「受け入れ体制を整備して、訪れた時に快適に過ごせるファシリティを提供し、円高にならない程度の円安が続く限り、インバウンドは増加するはずです。」

「地域経済の話をすると、日本は、イタリアとよく似ていて、大名がいて、それぞれの藩で文化圏を作っていたので、その地域、地域で、美味しいものとか、文化が異なります。沖縄と北海道、鹿児島と青森では、自然も文化も全く違うという、極端な例ですが、一つ、一つ見ていくと、どこに行っても違うので、日本を訪れ、興味を持った人は、次は、別の地域に訪れたくなります。リピーターになってもらうためには、オールジャパンとしてのプロモーションも重要になってきます。」

海外生活をして見えてくるもの

―海外で生活してこられたことが、活かされていますね?

「はい、海外で生活してきたことは、外から見て比較できることにつながります。外国人の生活を見ないと、彼らの嗜好や本質はわかりませんから、インバウンドを扱うには、アウトバウンドの経験が必要だと思います。」

COREZO「 高校から留学、10年間の海外生活経験を活かし、日本の魅力を発信し人材育成とインバウンド誘致を通じて、地元へのUターンを増やす取り組み 」である

最終取材;2018.10.

初稿;2019.01.

最終更新;2019.01.

文責;平野龍平

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