梅本 定久(うめもと さだひさ)さん

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COREZO(コレゾ)「かずら橋、からくり舞台までつくる、よろず請負人、人の役に立ちたいと、地域に恩返しをする、元役場職員」賞

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梅本 定久(うめもと さだひさ)さん

プロフィール

徳島県三好市西祖谷山村出身、在住

地域ボランティア

徳善襖絵からくり舞台実行委員会 会長

大歩危駅活性化協議会 会員

妖貝法螺吹き隊 隊員

大歩危駅前1日1ケごみ拾おう会 会員

山口屋(歩危マート)キッチン会議 議員

ジャンル

地域活性化

地域振興

地域ボランティア

経歴・実績

1975年 西祖谷山村 町役場臨時職員

1976年 正職員に採用 主に文教厚生他、さまざな職種に就く

2006年 合併により、三好市職員

2009年 三好市教育委員会 文化財課長

退職

受賞者のご紹介

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梅本 定久(うめもと さだひさ)さんは元三好市職員さんなのだが、後述する、「襖からくり」の舞台の設営から、大歩危・祖谷の観光名所、「かずら橋」の縮小レプリカまで製作してしまう、地域のイベントには欠かせない万能便利屋さんなのである。

2011年9月、「大歩危駅前1日1ケごみ拾おう会」の清掃作業に参加して、ようやく、同会会長の山口屋社長、山口 頼明(やまぐち よりあき)さんに認めて頂き、山口屋(歩危マート)キッチン会議への出入りをお許し頂いたので、しょっちゅう出入りしていると、しょっちゅう顔を合わせるのが、梅本さんや堀尾芳清さんだった。

で、2011年10月、「復活した『襖からくり』の実演があるから、見に来いや!」と、キッチン会議議長と議長補佐から私情命令が下り、訳もわからず、夜道、ホテルまんなかのマイクロバスで連れて行ってもらったのだが、こんな道、よう運転できるなぁ、というような険しい山道を上って、後山という集落の四所(ししょ)神社境内にある集会所に併設された「後山襖からくり舞台」に付いた。

篝火が焚かれ、厳かな雰囲気の中、なんと、開演の法螺貝はキッチン会議議長が吹き、進行役は議長補佐だった。そして、襖からくり舞台の設営、操作には、梅本さんや堀尾さんが関わっておられたのだ。

『襖からくり』とは?

徳島県三好市西祖谷山村では、明治時代から昭和30(1955)年頃まで、村の各地区にあるお堂前の広場に、移動組み立て式舞台を設置して、襖からくりが盛んに上演されていたそうだ。

その夜、使われた襖絵は、明治後期から大正時代に作られたものを修復したそうで、舞台の背景画として、裏表両面に絵風景や動物が描かれた10枚もの襖絵が、一瞬のうちに違う襖絵に変わるところが見どころだ。
元々、

人形浄瑠璃などの舞台背景だったのが、阿波では独自文化として発展し、人形芝居や演劇の幕間に上演されるようになったという。伝承されているからくりの技法は8種類あり、平成19(2007)年、三好市指定有形民俗文化財に指定されたそうだ。

2013年5月、梅本さんのご自宅にお邪魔して、お話を伺うことができた。

襖からくり復活のきっかけ

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「『襖からくり』は、その頃には、50年以上途絶えていて、私自身は、その襖が地元にあるというのは人伝に聞いて知っていましたが、どこにあるかも知りませんでした。平成16(2004)年頃から、三好市郷土史研究会のボランティアが、襖からくりが残っているはずだ、と調査を始め、西祖谷山村の後山という集落にある四所(ししょ)神社のすぐ傍の阿弥陀堂に、襖絵とからくり舞台を組み立てる部材が残っているのが見つかりました。」

「その後も調査を続け、後山の他に、徳善、有瀬、田ノ内、小祖谷の村内5箇所で、計310枚の襖絵が見つかりました。襖からくりは、一景(一場面)が10枚1セットで上演されるため、裏表合わせて60景以上の大発見でした。」

「私は、その当時、役場で有形無形文化財の管理を担当していたのですが、襖絵の保存状態は後山が一番良く、次が徳善、後は、あまり状態がよくありませんでした。2004年度から、文化庁の補助を受けて襖絵の修復が始まり、後山では、舞台を復元し、復活公演をしようという気運が高まり、操作の練習を始めました。」

操作方法は誰が指導?

「後山に2人、公演経験があって、やり方を知っている人がいたんです。その方たちの指導を受けて、練習を重ね、2005年、舞台を復元して、復活公演をしたところ、約600人集客し、大成功を収めました。」

何回公演されたのですか?

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「その時は、1回だけですね。私は、仕事で事務局として関わっていたのですが、舞台の設営に手間が掛かり、また、ご存知のように、場所が場所なので、観客の誘導も大変で、次どうするか何も決まっていなかったので、もったいない話ですが、一旦、舞台は全て解体しました。」

次の公演機会は?

「平成19(2007)年7月、ダルズ市から学生をはじめ、9名の訪問団が三好にやってくるので、その交流事業に合せて襖からくりを再度、復活させようということになりました。三好市ではタクイラ市(アメリカワシントン州)、ザ・ダルズ市(アメリカオレゴン州)と姉妹都市提携をし、国際交流を続けています。」

「前回は、後山だったので、今度は、徳善でやってみることになって、舞台とからくり機構は山口屋さんと私が中心になってつくり、からくりの操作は9人がかりだったのですが、指導は堀尾さんと私がやりました。7月の1ヶ月で準備をして、8月に公演をしました。」

からくりの機構や操作方法を覚えたのはいつ?

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「2005年の復活公演の時に、事務局をしていて覚えました。」

『後山襖からくり保存会』設立

「その後、後山では、山口屋さんや堀尾さんたちが中心になって、『後山襖からくり保存会』が立ち上がって、50名位の会員が集まって活動を始め、設営してバラすのは、非常に手間が掛かるので、助成金も付いて、2009年には、常設の舞台を併設した集会場の建設に漕ぎ着け、こけら落とし公演もしました。」

『徳善襖絵からくり舞台実行委員会』設立

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「毎年10月、徳善の有宮神社では、神代踊りを奉納しているのですが、それに合わせて、徳善でも、襖からくりの公演もしようということになり、平成20(2008)年、約50名の会員を集めて、『徳善襖絵からくり舞台実行委員会』を立ち上げ、平成22(2010)年から、三好市観光協会主催で、10月の毎週土曜日、徳善と後山が交代で、2回ずつ公演するようになりました。徳善は昔ながらの毎年、組み立てる舞台で、後山は、常設舞台で上演します。」

徳善を常設舞台にしない理由

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「本来は、移動式の組み立て舞台で演じていたものですし、他所の農村舞台も組み立て式はほとんど消滅していますので、伝統文化継承のためにも続けていきたいと思っています。2011年には、三好市指定有形無形文化財の指定を受けました。」

かずら橋までつくってしまうって?

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ー 話は変わりますが、池田町の阿波池田たばこ資料館にあったかずら橋(現在は老朽化のため撤去済)は梅本さんが作られたとか?

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「あれは、扉の修理とか設備メンテナンスをする学校支援員のボランティアをしていたご縁で、阿波池田たばこ資料館から依頼を受けて、仲間と2人で、2日間で作りました。全長約7.5mで、実物の1/5位のスケールでしたね。その他にも、生徒を指導して、池田高校では全長4m、西祖谷中学校では2mのかずら橋を製作しました。」

ー どこで覚えたのですか?

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「かずら橋は3年に1回、架け替えているのですが、私は教育委員会の文化財課にいた関係で、平成14(2002)年、17(2005)年、20(2008)年の3回、かずら橋架け替えの事務局を担当しました。年々、材料となるシラクチカズラは少なくなっていて、材料確保のため、この近辺はもちろんのこと、徳島県内全域と高知県の山々に至るまで歩き回って、その自生地、生育場所の調査をしました。」

ー 今では、シラクチカズラは山深いところでしか見つからないと聞きましたが、獣道のようなところまで、歩かれたのですか?

「まあ、歩いて行けるところはどこまでもということですね。話はそれましたが、3回も架け替えているのを間近で見れたので、つくり方も覚えました。」

ー 見てただけで作れてしまうんですか?そんな簡単にできるものじゃないでしょう?

「ハハハハ、どうでしょうか、見よう見まねですけどね。」

周りにあるものでなんでも作ってしまう達人

ー 2012月12月の坪尻のクリスマスコンサートの時、雪交じりの空模様で、梅本さんがステージ上に架けたブルーシートのテントを見て、この人スゴイと思いましたよ。だって、ステージ上のブルーシートに雨水が溜まらないように、そこらの竹で屋根をアーチ状に組んでいたでしょ?どんだけ器用なんですか?

「あれは、前日、設営に行って、当日も時雨れるのがわかっていたので、何とか、演奏者の方々を濡らさない方法はないかとずっと考えていました。当日の朝方に思いついて、早めにいって、現場にあった竹を切り出して作ったんですが、我ながら、なかなかのアイデアでした。」

人命救助もしてるって⁉︎

「昭和54(1979)から平成14(2002)年まで消防団員をやっていて、この辺には6分団あって、最後は分団長までやりましたが、山火事も含めて、年に1〜2回出動していましたね。さっきお話しした、シラクチカズラの調査だけでなく、国土地積調査も仕事でしていましたし、個人的に炭焼きもしているので、この辺りの山のことは熟知していると思います。消防団を辞めてからも、依頼があれば、遭難者の救助等のボランティアをしています。」

「この辺りでも結構遭難する人が多くて、時々、依頼を受けて捜索に出かけています。直近では、すぐ近くの国見山(1409m)で遭難者が出て、すでに日が暮れてしまっていて、じっとしていてくれたらまだ探しやすいのですが、経験のない人は谷へ下りようとするんですよ。かなり厳しい状況でしたが、何とか見つけて、かなり衰弱しておられましたが、遭難者用のパンと飲み物も準備していたので、無事、下山させることができました。そんなのが何回かありますね。」

喉元過ぎれば…

梅本さんは、一切、見返りの期待などしていない方だが、救助してもらった人のその後が気になったので尋ねると、ほとんどは礼状が来ておしまいだそうだ。命って安い。

ボランティアを始めたきっかけ

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ー 先日も近所のお茶農家さんのお茶を運ぶ架線を設営しておられるところを見かけましたが、ボランティアを始められたきっかけは?

「役所勤めをしていると、税金でご飯を食べさせてもらっている訳でしょ?退職したら地域に恩返ししたいと思っていましたし、退職前からもしていたのですが、早期退職したのも1年でも早くそうしたかったからです。」

「この辺は、どこも急な山肌に茶畑があって、おばあちゃんが一人で茶摘みをするのに、架線があれば、楽に出荷できるでしょ?困っている人を見たら放っておけないだけです。人さまに喜んでもらえるなら、これからも、手先が器用なことを活かしていきたいと思います。」

「一家に一台(一人)、うちのとーちゃん。」

ー お嬢さんの賀代ちゃんが、「一家に一台(一人)、うちのとーちゃん。」、とゆーてはりましたよ。ところで、COREZO(コレゾ)賞、受賞してもらえますか?

「照れくさいです。」と梅本さん。

COREZO(コレゾ)「かずら橋、からくり舞台までつくる、よろず請負人、人の役に立ちたいと、地域に恩返しをする、元役場職員」である。

後日談1.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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梅本 定久(うめもと さだひさ)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO (コレゾ)賞 事務局

初稿;2013.11.26.

最終取材;2013.12.

最終更新;2015.03.17.

文責;平野龍平

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