浅井 信太郎(あさい のぶたろう)さん

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COREZO(コレゾ)「大豆と塩と水だけでつくる八丁味噌。その脈々と続く伝統と技を継承するため、人を大切にして、誰よりも働き、攻め続ける社長」賞

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浅井 信太郎(あさい のぶたろう)さん

プロフィール

愛知県岡崎市出身、在住

株式会社まるや八丁味噌 代表取締役

ジャンル

食づくり

伝統醗酵食

醸造業

八丁味噌

経歴・実績

1337年 開祖、弥治右ェ門が現岡崎市八帖町に醸造業を始める

1560年 桶狭間の合戦にて徳川軍の「戦陣にぎり」と称し、味噌が兵食になったと言われている 二代目文治郎、事業を相続

1603年 江戸幕府開府。東海道を通る大名行列・お伊勢参りにより、全国にその名が広まる

1878年 八町村(八丁村)と松葉町が合併し八帖村となる

1931年 合名会社大田商店設立

1942年 第二次世界大戦による統制令により八丁味噌の生産は一時中止 本社事務所棟竣工・移転(へきなん都市デザイン文化賞受賞)

1950年 統制令解除により生産再開

1968年 アメリカへ八丁味噌輸出を始める

1969年 イギリス等欧州へ八丁味噌輸出を始める

1971年 オーストラリア・ニュージーランドへ八丁味噌輸出を始める

1987年 アメリカ有機食品認定機関OCIAの認証取得

1990年 合名会社大田商店から合名会社まるや八丁味噌に社名変更

1996年 株式会社まるや八丁味噌に組織変更

1998年 岡崎市商工会議所より創業660周年の認定を受ける

2000年 ISO9001審査登録 (登録番号JSAQ934)

2003年 有機農産物加工食品製造者に認定(認定番号013B004)

ISO9001:2000へ移行

2004年 愛知ブランド企業に認定(認定番号017)

2007年 三河産大豆と奥三河の天然水で仕込む「八丁味噌」三河プロジェクト開始

2009年 ISO9001:2008へ移行

受賞者のご紹介

「八丁味噌」という名前の由来

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旅先で、朝、TVをつけると、何年か前の朝の連ドラの再放送をやっていて、何気なく見ていると、八丁味噌の味噌蔵が映っていた。大きな杉の仕込み桶がいくつもあって、「これはセットではないな。」と、直感して、日東醸造の蜷川社長に連絡すると、仕込み桶のある味噌蔵の社長をご存知だとおっしゃる。

「そりゃ、是非、行ってみたい。」と、お願いをして、まるや八丁味噌さん訪問が実現した。蜷川さんからは、とってもユニークな社長さんであることは事前に伺っていたのだが、お目に掛かった途端に、それは、現実のこととなった。

工場見学受付でお待ちしていると、とってもニコヤカな浅井 信太郎(あさい のぶたろう)社長がお出ましになられて、ご挨拶をした。

「岡崎と言えば、徳川家康と八丁味噌、と言われるほど、八丁味噌は岡崎を代表する地場産業です。戦国時代には徳川家康の兵食にもなって珍重されていました。岡崎城から西へ八丁(約870メートル)のところにある味噌蔵で造られているので『八丁』の名が付きました。」

「弊社の創業は延元二年(1337年)、始祖である大田弥治右ェ門が現岡崎市八帖町にて醸造業を始めたと伝えられていますが、『八丁味噌』と呼ばれるようになったのは江戸時代からと言われています。原料は大豆と塩のみです。添加物は一切使用しません。それを高さ約2メートル、直径約2メートルほどある巨大な杉桶に仕込み、その上に4~500個、約3トンもの石を円錐状に積み上げ、二夏二冬(約2年)寝かせるという伝統製法を頑なに守り続けています。一般的な味噌に比べると、時間がかかっているんですよ。水分含有量が少なく、独特の濃厚な風味と酸味があるのが特徴です。」

「では、味噌蔵をご案内しましょう。どうぞ、こちらへ。」と、おっしゃる浅井社長の後について、蔵の中に入ると、味噌のいい香りが漂い、石積みされた大きな木桶がずらりと並んでいた。

八丁味噌と赤だしみそとの違いとは?

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ー 北京料理の炸醤麺(ザジャンメン)が子供の頃から好きで、本場のものは、豆味噌に豆豉(トウチ)や甜麺醤(テンメンジャン)も使うようですが、山東省出身のコックさんが使っていたのを見て、自分で作る時にも八丁味噌を使っています。でも、関西の家庭では、味噌煮込みうどんや、味噌カツはほとんど作らないので、八丁味噌と赤だし味噌の区別がわからない人も多いのではないかと思います。

「そうかも知れませんね。八丁味噌は、大豆麹をつくり、塩と水だけを加え、仕込みます。麹も米麹や麦麹は使わず、大豆と塩だけで造り上げます。」

「赤だしみそは、弊社でもつくっていますが、豆味噌と米味噌を合わせた調合味噌といわれる合わせ味噌で、八丁味噌ではありません。料亭等では、それぞれの店で、八丁味噌に、独自に選んだ米味噌を合わせて、その店の赤だしの味をつくっています。弊社では、八丁味噌の風味を活かして、八丁味噌に豆味噌・米味噌を合わせることで、甘みが加わり、料亭で味わうような赤だし味噌に仕上げています。合わせる味噌の種類や配合、合わせ方によって、違った味わいの赤だし味噌ができます。米味噌は、弊社ではつくっていませんので、京都のこだわりの製造業者さんから仕入れています。」

味噌の基礎知識

ここで、味噌について、角谷文次郎商店の角谷社長から伺ったお話を復習して、少し、おベンキョー。

味噌の原料は、大豆または、大豆及び、米、麦等の穀類と塩、麹(米、麦、豆等)。原料の違いによって、米味噌、麦味噌、豆味噌とそれらを調合した調合味噌があり、赤味噌と白味噌の違いは、その熟成期間の違い。また、味噌は、塩分濃度で醗酵の調整をするので、白味噌は、熟成期間が数ヶ月と短く、塩分濃度が低い。赤味噌は1年以上熟成し、塩分濃度が高い。

麹が出す酵素の働きで、大豆のタンパク質は分解されて、アミノ酸等のうまみ成分、米や麦のデンプン質が糖質に変わるので、原料に豆が多い味噌はうまみ成分が多く、米や麦等が多い味噌は甘み成分が多い。また、大豆やこうじのタンパク質(アミノ酸)と糖分が、メーラード反応とも呼ばれるアミノカルボニール反応が進行し、褐色に変化するので、熟成期間が長い程、色が濃くなる。

八丁味噌は、100%豆味噌なので、うまみ成分が多く、約2年間、長期熟成するので、塩分濃度も高く、赤味噌でも色が濃くなり、糖分が少ないので液化し難い。また、仕込んだ上に石積みをして、重しを載せるのは、味噌をつくるこうじ菌は嫌気性のため、空気を押し出すためだそうだ。

八丁味噌のつくり方

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大まかなことがわかった上で、

「大豆麹のつくり方は、厳選した丸く、粒の揃った大豆を水洗いし、浸水して、水を切った後、蒸し煮にして、一定の温度に冷やします。その後、蒸した大豆を丸め、麹菌を付けて培養します。」

「こちらの大桶はもう仕込みが終わっていますが、この仕込み桶の中に職人が入り、できた大豆麹を入れては、踏み固めて、均しを繰り返し、余分な空気を抜き、石積みの土台を作ります。」

「そして、土台ができたら、この桶のように、石をひとつひとつ円錐形に積み上げ、石積みを重しにして、さらに押し固めながら、二夏二冬、天然醸造で熟成します。2年後、出来上がった八丁味噌は、職人が桶の中に入って、シャベル(スコップ)で掘り出します。八丁味噌が硬いのをご存知でしょうか?あの硬さが八丁味噌の身上なのです。」

石積みの技が八丁味噌を育む⁉︎

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ー 見事な石積みですね?

「職人技ですね。石積み職人は『載せる』と『積む』は違って、『石には、顔がある。』と言います。石積み職人は修行を重ねて、先人達の技を引き継いでいます。積む場所によって石の大きさも違うんですよ。バランスをとって積んでいき、最後、テッペンにまんじゅう石を置きます。」

藤井製桶所さんで桶を新調

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ー この仕込みの木桶はどうされているのですか?

「木桶自体は、タガを替えたり修理したりして、100年以上使えるものなのですが、2010年にまるやとしては78年ぶりに、大阪の堺の桶屋さんにお願いして、桶を3本新調しました。」

ー えっ?藤井製桶所さんですか?

「そうです。よくご存知ですね。今では、このような大きな味噌桶を作れるのはそこしかないようです。」

ー 小豆島の醤油屋さんや小布施の市村酒造さんからも同じような話を聞いていたものですから・・・。

伝統を守るのは、一社だけではできない

「伝統的な醸造をやっているところは、桶屋さんが無くなると困りますからね。伝統を守るという事は、一社だけでは出来ません。その伝統製法を守っていく為に、それを支えるたくさんの職人さんたちの職能が集まって伝統を後世に伝えることができます。私のところも、製桶職人さんの伝統を守って頂きたいと、毎年、1本づつ作ってもらっています。」

八丁味噌をつくれるのは、『カクキュー』と『まるや』の2社のみ

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「どうぞ、こちらの社屋の方へ。社屋といっても古い建物なのですがね。それがいいって、TVのロケにも使って頂きました。」

「この社屋の前の通りが旧東海道で、通りを挟んだ向いが『カクキュー』さんです。八丁味噌は、『カクキュー』と『まるや』の2社のみによって造られ、お互いが時に協調し、時に切磋琢磨しながらその品質を高めあう努力をしてきたので、長い歴史の中で生き残ってこられたのだと思います。」

社員も取引先も、人を大事にしていると万事上手く行く

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ー 浅井社長は家業を継がれたのですか?

「実は、大田家の跡継ぎが途切れ、『カクキュー』さんに相談したことがあったようですが、『カクキューは、旧東海道を越える訳にはいけません。これからも八丁味噌の味は2社で守っていきましょう。』と言う言葉で、大田家の身内から跡継ぎを出すことにして、1931年、合名会社大田商店を設立しました。」

「私は、地元の大手味噌メーカーに就職していたのですが、海外に行きたくて、24歳の時にドイツに留学しました。職を辞したつもりだったのですが、その味噌メーカーの経営者の計らいで、在職の身分のままだったので、ヨーロッパと北米での味噌の市場開拓もしていました。」

「1979年にヨソモノなんだから、黙ってやれ、と言われて、まるや八丁味噌に入社し、2004年、代表取締役に就任しました。」

「弊社には、質素にして倹約を第一とする、事業の拡大を望まず継続を優先する、顧客、従業員との縁と出会いを尊ぶ、という3つの信条があります。私が、大量生産・販売の時代に、代表取締役に就任した際、社員に言ったのは、『人が全て、全員正社員で、定年なし』、『給料は絶対に減らさない』、『仕入は全て現金、お金は先に払え』でした。これは、ずっと今でも、守っていまして、社員も取引先も、人を大事にしていると万事上手く行くんですね。地元の銀行から来てくれた社員もいましてね、来てくれた人は偉い、でも、説得したボクも偉いよね、なんて言ってますよ、ハハハハ。」

輸出は現地の方に買って頂くことに力を入れる

ー 輸出も多いとおっしゃていましたが?

「私が入社する前からですが、1968年に、アメリカ、翌年にはヨーロッパへの輸出を始め、現在では世界20カ国で販売しています。ニューヨークでは、在留の日本人をマーケットにすることもありますが、基本的には現地の方に買って頂くことに力を入れています。八丁味噌のこだわりを理解してくれる方、健康に気を遣う方、『日本の伝統』として認めていただける方に買っていただけるよう努力しています。」

いち早く、有機の味噌づくりを始めたワケ

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ー いち早く、有機の味噌づくりを始められたそうですが?

「伝統の製法を守りながらも積極的に新しい挑戦をしていかないといけないと思っていて、特に、私の入社当時から、社内の反対にあいながらも力を入れてきたのが有機でした。1980年代には、まだ有機という言葉が一般的に認知されておらず、他の企業が目を向けていませんでしたが、弊社では有機栽培の大豆を使った八丁味噌を造り、国内ではなく、オーガニックへの関心が高まっていた海外へ全て輸出していました。」

ドイツ留学から学んだこととは?

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ー そのきっかけは?

「先程、お話ししたドイツに留学していた時に、現地で出会った人々の影響が大きいですね。当時、1ドル=360円の固定相場の時代だったので、留学生活はなかなか厳しいものでした。高度成長期を迎えて、少し浮かれていた日本と違って、家族のように接してしてくれた受入れ家族をはじめ、ドイツの人たちは、質素倹約、沈着冷静で、何でも新しいものに飛びつかず、今あるものを生かそうという考え方、暮らしぶりでした。あれから30年後に訪れても、同じような気質、風景が残っています。そういう普遍的な価値観、ライフスタイルから多くのことを学びました。」

「有機との出会いは、現地で日本食を普及していこうとしていた人達や、医学を志してドイツに渡り、マクロビオティック(玄米、穀菜食を基本とし、人と生き物と環境のバランスを考える食事法)を研究していた人にお会いしたことがきっかけでした。特にアカデミックな人ほど、日本食やオーガニックの素晴らしさを認める人が多く、彼らが真剣に議論している姿や、その内容に大変共感を得たのです。今後、日本でも有機やマクロビオティックが注目される時代がきっと来ると確信しました。」

「1987年、アメリカ有機食品認定機関(OCIA)の認証を取得し、ヨーロッパ有機認証機関(ECOCERT)、厳しい食品規律を持つユダヤ教のコーシャ(Kosher)の認証も取得しています。その監査も海外からやってくるので大変でしたが、その継続の甲斐あって、2000年、日本で有機JASの制度ができた時には、すでに弊社には多くの実績がありました。現在でも毎年相当量の輸出をしています。」

三河産大豆と奥三河の天然水で仕込む『三河プロジェクト』

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「先程も仕込んだ桶をご覧頂きましたが、2007年には、地元の原料にこだわり、三河産大豆と奥三河の天然水で仕込む『三河プロジェクト』を始めました。大豆は西尾のマルミファームの協力で生産された大粒一等大豆、フクユタカを使用しています。実は、この大豆の生産者は私の学友なんです。そして、水は、岡崎の保久町でこだわりの地酒を造っている柴田酒造場の社長との出会いから、硬度3の超軟水である井戸水(神水・かんずい)を提供して頂いています。人と人との出会いによって始まったプロジェクトです。」

海外では、MR.HATCHOと呼ばれ、戦国武士の甲冑を着てPR⁉︎

— 浅井社長は、海外のフードフェアでも、先頭に立って、戦国武士の甲冑を着てPRをしておられるとか?

「ハハハハ、どんな老舗でも、一番働いているのは社長でなきゃいけません。店頭のマネキンと呼ばれる販売員も積極的にやります。岡崎城下ですから、実は、甲冑作りが趣味でして、税関検査の関係で、海外へは、紙製の甲冑を作って持って行きます。」

ー それは海外の皆さんにウケるでしょうね?

「それはどうでしょうか・・・。」

「浅井社長のブースはいつも黒山の人だかりで、海外では、MR.HATCHOって、呼ばれておられるじゃないですか?」と、蜷川さん。

「まずは、注目してもらって、こちらに集まってもらわないと、話にもなりませんからね、ハハハハ。」

ニューヨークでも、レストランに八丁味噌を提案するために売り歩く

「海外の人たちに売り込むのに、アノ手、コノ手でやってきました。毎年2月には、単身渡米し、極寒のニューヨークで自分で作った味噌汁をポットに入れ、レストランに八丁味噌を提案するために渡り歩く、ということもしているんですよ。」

伝統を守るためには、攻め続けることが一番

ー 八丁味噌の今後についてお聞かせ下さい。

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「戦災で多くの資料が消失しましたが、享保年間の味噌の仕込み帳や、金融業も営んでいたので、天保年間の勘定帳が残っていて、それだけの歴史の重みも感じています。伝統企業の一大テーマは、事業の承継です。2006年には、『カクキュー』さんと『八丁味噌協同組合』を発足し、味噌の品質、伝統の維持・継承、文化の発信をテーマに共同で活動をしています。」

「私どもの出来上がった八丁味噌は、不思議なことに、仕込み桶の中の上中下、どの部分の味も品質も同じなのです。どうしてかというのは企業秘密ですが、伝統の仕込の技、石積みの技があってこそ、なのです。目先の成功だけを考えるのではなく、次の世代がうまくいくための環境を作り、企業としていい状態で継承するのが私の義務です。」

「伝統を守るためには、八丁味噌とフランス料理、イタリア料理他とのコラボや新しい食べ方の提案等、攻め続けることが一番必要だと考えています。先代たちが、代々、脈々と築き上げてきた伝統を未来へ繋いでいくためも、さらに精進していきます。」

−− 有難うございました。ところで、COREZO(コレゾ)賞を受賞して頂けませんか?

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「ハハハハ、私でよければ。」と、浅井社長。


COREZO (コレゾ)「大豆と塩と水だけでつくる八丁味噌。その脈々と続く伝統と技を継承するため、人を大切にして、誰よりも働き、攻め続ける社長」である。

後日談1.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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「杉の仕込み桶と日本の伝統醗酵食文化」トーク・セッションにご登壇頂いた

浅井 信太郎(あさい のぶたろう)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO (コレゾ)賞 事務局

文責 平野龍平

最終取材2013.07.

編集更新2013.11.26.

文責 平野龍平

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