永井 美穂子(ながい みほこ)さん/佐世保バーガー

COREZOコレゾ「佐世保バーガーを売り出したご当地グルメブームの火付け役、伝説の元地方行政ウーマン」賞

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永井 美穂子(ながい みほこ)さん

プロフィール

長崎県佐世保市出身

佐世保市 職員

http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/

佐世保市観光コンベンション協会 職員

http://www.sasebo99.com/

ジャンル

観光・地域振興

地方行政

観光行政

経歴・実績

1991年 佐世保市 職員

日宇支所、国際観光課、秘書係、観光課

2004年 (財)佐世保観光コンベンション協会 出向

2006年 佐世保市役所 退職

日経ウーマン・オブ・ジ・イヤー2006

ヒットメーカー部門第6位

受賞者のご紹介

ギョーカイの有名人

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永井 美穂子(ながい みほこ)さんは元佐世保市職員。「佐世保バーガー」を全国区に押上げたご当地グルメブームの火付け役の一人。観光業界では知る人ぞ知るやり手の地方行政ウーマンとして、ちょっとした有名人だった伝説の淑女?である。

佐世保でも人気者…

 

ご縁があって、初めてお会いしたのは2005年頃だった思う。すでに佐世保バーガーが全国ブランドになりつつある頃だった。ある事業の下見で、事業主の方の車に同乗させてもらって、JR佐世保駅前に到着すると、日傘をさしたスラリと長身の女性が出迎えて下さった。それが、旧姓鬼山(おにやま)美穂子さんだった。旧姓についてもたいへん含蓄のある曰く因縁があるが、ご本人のたってのご要望により、割愛させて頂く。

その日は、同行者と一緒に、佐世保の観光資源をご案内頂いた。どこに行っても、「オニヤマちゃん」、「ミポコちゃん」と大歓待で、「この人、地元の人気者だなあ」と思った。

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車を運転される時には、肘上まで肌を覆い尽くす黒手袋、牡蠣の養殖場の見学で舟に乗る時には黒のヨットパーカーを頭から装着し、外を歩く時には必ず日傘を差しておられたので、余程、お肌が弱いか、日焼けを気にしておられるデリケートな女性なのかなと勝手に思っていたが、全くそんな御仁ではないのは直ぐに判明したのである。

三味線持った渡り鳥ー華麗なる学生時代

関西の方面の大学に進学して、シンガポールに初めて海外旅行に出掛け、ハマってしまったそうだ。生来、自分の好きなように勝手にしたい、というとっても従順な性格である。旅行会社が口出しできないようなところばかりを選んで出掛けた。いわゆる、バックパッカーである。旅先で知り合った同好の仲間からおもしろそうな情報をもらうと、そこへ行きたくなるらしい。

南米には何度も出掛けた。公衆トイレで用を足してドアを開けた途端、暴漢に襲われた。鈍器のような物で何度もボコボコに殴打され、気が付いたら、病院で寝ていた。歯を3本折られ、金メの物は全部持ち去られていた。でも、一番悔しかったのは、相当高価だったらしい三味線の棹を折られていた事だったという。

ー えっ、三味線って???

「えーっ、知りませんでした?エヘヘ、私、バイオリンもお琴も三味線も3歳頃から習っていて、三味線は生田流の名取で『歌尚』という名前ももらっとっとですよ。ハハハハ。」

「そんなもん知るか、ハハハハ。」である。

何でも名取になるには試験を受けて、名取料を払って、お披露目の公演?師匠の出演料?お礼?衣装代??、と、とってもお金がかかるらしい。何と、この人、ええトコのおぢゃうさまだったのである。

で、芸は身を助けるというか、芸を安売りしていたというか、この人、世界各地で皿洗い他のバイトの他、バイオリンと三味線の大道芸で稼いでいたそうなのである。「三味線持った渡り鳥」や「はなれ◯女おりん」を地で演っておられたのである。

パリでも一儲けしようと演っていると、おまわりさんに取り囲まれ、現行犯でとっ捕まってしまったらしい。取り調べでは日本語しか一切しゃべれないフリを通したら、再度、逮捕現場に連れて行かれた。おまわりさん達は捕まった場所を指差し、三味線を弾くモノマネをして、腕で大きく「×」のサインを見せて、「ワカッタカ?」と、睨まれたたので、「ワカッタ、ワカッタ。」という風に頷いたら、釈放されたそうである。なかなかの知能犯なのである。

「エヘヘヘ、よゐこの皆さんは真似しないように。ねっ。」だと?誰もせんちゅーねん!

殴打事件の後にも、性懲りもなく、南米に出掛けている。南米からスペインに渡り、パッカー仲間から、ベルリンの壁が崩壊して何やらゴタゴタ騒いでいるらしいと聞きつけると、「オモシロソー、行く、行く。」と駆けつけるバッカーなのである。

ー で、ベルリンの壁のカケラとか持ってるの?と、尋ねると、

「おばちゃんが売っとらすのを買ったとばってん、ただのコンクリートのカケラで、ホンモノかどうかはわからんとですね。エヘヘ。」

ー で、ずっと旅行の話ばかりだけど、大学には行ってたの?」

「えっ?エヘヘヘ、そこんとこはノーコメントでお願いしまーす。」とのことだ。

佐世保市職員に採用される⁉︎

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「世間では就職活動時期みたい。そろそろカタチだけでもしとかんとアカンよね。」と、パッカー仲間達が、就職活動を始めたので、この人も何となくテキトーにお始めなって、筆舌に尽くし難い程、」破天荒で、おもろいお話なのだが、ご本人の座ってのご切望により、残念ながらご披露できない。

フツーなら、卒業という時期に、娘の行く末を案じたご両親が、佐世保市の職員採用に願書を出された。仕方なく受けたところ、採用されてしまったとか、ウソかホンマかよーわからん話。

それで、配属されたのが、佐世保市中南部の日宇(ひう)支所の住民票や印鑑証明等を発行する窓口業務。すぐ、近所のおばちゃんやおっちゃん達と仲良しになって、まんじゅうもらって喜んでしゃべっているうちに、発行手数料をもらうのを忘れてしまったりで、1年近く勤務して、毎日、収支が合わず、自分の財布から埋めていたらしい。

ズサンな金銭感覚?で、異動になり、配属されたのが、国際交流課。佐世保市と姉妹都市関係にあるサンディエゴや厦門市からの訪問の受入れや、佐世保から視察団の派遣等、興味がなかったのでよく覚えてないらしい。

市長の秘書を約5年間務める

次に、なんと秘書課に配属され、当時の市長の秘書を約5年間務め、時々、東京や全国各地へ市長に同行していたらしい。毎日、お茶くみをして腕を磨き、誠に恐ろしいことに、天皇皇后両陛下が佐世保行幸の折に、お茶をお出ししたのが自慢らしい。

そして、1998年頃(ご本人がよく覚えておられないというか、まったく無頓着なので、推測だが、なんとなくツジツマは合っている。この人はきっと歴史が得意だったに違いない)、佐世保市でのキャリアの半分を過ごす観光課に配属される。

佐世保バーガーを売り出すきっかけ

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そろそろ「ご当地グルメ」が、話題になり始めていた時期で、佐世保市でも、何かの予算がついて、「九十九島の鯛しゃぶ」を売り出そうということだけは決まっていたそうだ。

当時、九十九島の鯛は福岡に卸していて、「鯛しゃぶ」というのは福岡のイメージが強く、「福岡から観光客がわざわざ佐世保に『鯛しゃぶ』を食べにくると?」という素朴な疑問が沸き上がったので、尋ねると何の事前調査もしていないという。「予算があるから、取り敢えずやりましたではやる意味がない。」と、口に出して言わずに、なんだかんだとテキトーな理由を付けて中止させてしまった。

おやっ?この人、ひょっとして、この辺からマトモになって行くのか?微かな期待を持ちつつ…。

「アハハハ、まあ、当たり前ですけど、中止させた当人が代りになるモンば提案せんか、となるとですね。で、考えたとですよ。佐世保→軍港→米軍基地→外人バー→ハンバーガー。私ですね、かわいかやなかとですか(何ゆーとんねん)?これでも役所内外のオジサンたちに人気があったとですよ(オニーサンではない)。よく飲み会に連れて行ってもらっとっとっとですよ。で、ですね、博多とかじゃ、〆にラーメンば食べるやなかとですか?佐世保は〆にバーガーば食べるとですよ。これが『よかー』と思ったとですよ。」

翻訳すると、佐世保には軍港や米軍基地のイメージがある。佐世保市内には米軍人相手の店が沢山あり、本場の米軍人も唸らせる美味しいバーガー店も多い。米軍基地=米国文化=バーガーと佐世保はイメージしやすいのではないかと考えた。

ー で、すんなりと提案は通ったのですか?

「エヘヘ、通りませんでしたよ。単価が安いだの、旅館やホテルで出せないだの、なんだかんだ、反対は誰でもできるとです。でね、『反対するなら対案もってこい。』とは言わずに、私って、オリコーさんでしょ?市長秘書時代に、商工会の会頭さんだとか、旅館組合の組合長さんだとか、挨拶に来られたり、会合でお目に掛かったりして、その他にもいろいろなエラいオジサンたちと仲良しになっていたんで、そんな人脈を総動員という程でもないですが、ちょっとお願いしたら、皆さんが協力して下さって、やろうということになったとですよ。私って、カシコカー。」

アンパンマンの故やなせたかし先生に直談判

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「佐世保バーガーの案内マップ作ったり、マスコミに広報したり、知名度はそこそこ上がってきたとですが、もっと全国的に売り出すためには、インパクトのあるイメージキャラクターが欲しくて、アンパンマンもパンだし、やなせたかし先生にお願いしたいなぁ〜とずっと思ってたとです。でね、代理店にお願いすると高くつくし、旅行会社の世話になりたくないのと同じぐらい代理店にもお世話にはなりたくないので、無謀にも、やなせたかし先生が理事長をしておられた日本漫画家協会に直接電話したとですよ。そしたら、会って下さるとおっしゃるんで、飛んで行ったとです。」

よく覚えておられないが、多分、2003年頃だったそうだ。

「エヘヘ、もちろん制作費はお支払いしたとですが、相場も知らんとばってん、多分、破格の料金で引き受けて下さったとです。何度かご自宅にもお招き頂いて、お邪魔してるとですが、とってもカワイカせんせーでしたよ。」

キャラクター効果も効を奏して、01年度は販売個数30万個だったのが、04年には140万個になり、店舗数も2倍になった。人気店には県外ナンバーの車が列をなしたそうだ。

「でね、便乗出店も増えたとですよ。勝手に佐世保バーガーを名乗られて、一店でもいいかげんな商品を販売されるとですね、『何だコレ?大したことない。』と、悪い評判が立っちゃうとですね。手作りの佐世保バーガーの伝統の味ば守らんといかんということで、商標登録して、認定制度も始めようと認定委員会も組織したとです。」

B級グルメやなかと

「B級グルメコンテストみたいなのがあるとですね?佐世保バーガーも出品しないかというお誘いを受けたとですが、B級グルメとは思っていないし、B級グルメで売るつもりもなかったとですね。せっかく、皆さんに認めて頂けるようになったとですから、認定制度も含めて、ブランドイメージは守らんばいかんとです。エヘヘ。」

米軍関連の佐世保のご当地グルメには、レモンステーキや海軍シチュー等もあるのだが、バーガーにしたのがミソ。今や、ファーストフードのチェーン店のおかげでハンバーガーを知らない人はいない。何軒もこの人オススメの佐世保バーガーのお店に連れて行ってもらったが、どの店も個性があって、ひとつとして同じような味の店がない。具やソースにもそれぞれにこだわりがあり、注文をしてから作り始めるので、作り立ての熱々を頂ける。味も内容もファーストフードのバーガーではない。値段もそれなりにするが、同じバーガーでも別モノである。そういう意外性もヒットの要因ではなかったかと思う。うどんの中の本場の讃岐うどんのような位置付けだ。

この人、ノホホンとしているように見せかけて、周りが油断している間に、戦略はしっかり立てて実行している、とってもしたたかな淑女なのである。

国の役人も味方につけて…

「観光立国とかで、国にも観光振興に予算がつくようになったとでしょ?ちょうど観光に追い風が吹き始めた時期だったとですね。でね、佐世保バーガーはキャラクターもカワイカでしょ?いろいろ声ばかけて下さるようになったとですよ。◯◯の予算が付いて、バーガー店の待ち時間を携帯で確認できるシステムも導入できたとですね。」

当時、ご一緒していると、某国や某県のそれ相当の立場の方々から、「今度、どこそこでこんな予算付くから、申請してみたら。」とか、しょっちゅう携帯にかかってくる。「よかですねー。ありがたかー。やってみますねー。」と、この人、万事この調子なのである。

結局、この人とは一度も一緒に仕事をすることはなかったのだが、九州に行く度に、「これから宴会やでー。」と連絡すると、「よかですねー、うらやましかー。」と言いながら、仕事が終わり次第、「これから行くとですよ。」と、博多へでも由布院へでも職場のデスク同様、整理整頓の行届いた愛車のボ◯ボ850でぶっ飛んでくる。で、翌朝、始業に間に合うよう佐世保に戻って行くのである。バックパッカー時代に育まれた「おもしろそー」精神全開の行動力なのである。

佐世保から博多の中洲まで2時間(通常、3時間弱)を切ってやってきたことがあり、「一体、何キロで飛ばして来たの?」と尋ねると、「エヘヘ、スピード違反で捕まらない程度。」と宣っていたが、佐世保市役所退職直前に「◯◯Kmオーバー」で召し捕られたそうである。ザマー見ろ、とうとう天誅が下って一安心。

退職前にはギョーカイではかなりのユーメー人になっておられたが、ある行政機関から依頼されて、観光振興に関する講習会の講師をお願いしたことがある。佐世保バーガーの事例を中心に、地域の魅力をどう掘り起こし、どうイメージ戦略を構築し、どうPRして、地域ブランドを確立するか、実におもしろ、おかしく拝聴した。この人、講演上手いなと思った。で、自分の話が終わると、もう一人の講師の話は全く聴かずにパソコンで作業しているので、尋ねると、

「あの人の話、ぜーんぜん興味ないし、明日までに報告書出さんといかんとですよ。」とのことだった。

自動靴下洗濯伝説

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役所の飲み会で上司が酔っぱらって、履いていた靴下を脱いでこの人のバッグに放り込んでおいたら、次の日、洗濯されて戻ってきた。この噂が職場に広がり、次の飲み会が終わって帰宅すると、バッグからヘンな臭いがする・・・、何足もの靴下が入っていたそうである。

佐世保の飲食店で精算しようとすると、先に支払いを済ましてしまっている。地方行政の職員にゴチになる筋合いはない。「こんなハシタガネで恩を買いたくない。」と、払おうとしても、「エヘヘ、売っとらんと。」と、気っぷが良過ぎるのか、経済観念を持ち合わせていらっしゃらないのか、主婦となって◯年、未だに家計は任されてもらえないらしい。

この人の万事この調子にハマったオジサンは役所内外から、県外、国?に広がり、この淑女のためならとひと靴下脱いだり、不幸にもこの人の在職中に佐世保に何度も訪れてしまったオジサンを何人も知っている。

2003年、東京からとある新聞社の記者がこの人の取材に佐世保へやって来た。この記者さんもこの人の万事この調子としたたかな戦略に見事ハメられたようである。2006年、この記者さんとの結婚のため、市役所を退職して、東京に発つ際、地元で盛大な歓送会が開かれたそうだ。このイセエビ記者さんは随分と恨まれたことであろう。

東京で暮らすようになってからも、講演や講師の依頼は引き受け続けた。愛してやまない故郷のPRにもなるからである。2児の母となった今でも年に5〜6回は講演活動を続けているという。

久しぶりにお目に掛かった何故か上野動物園で、コレゾ財団・賞の趣旨のご説明をし、受賞をお願いしたところ、

「あれっ?もう、今年の12月8日はそのつもりで予定あけてるとですよ。でも、もう現役じゃなかばってん、よかとですか?」

ー 受賞者にはイロモノも要るし、昔の名前で出ています賞ということで…。

「ハハハハ、よかですね。」とのこと。

COREZOコレゾ「佐世保バーガーを売り出したご当地グルメブームの火付け役、伝説の元地方行政ウーマン」である。

後日談1、こづれオーカミ、銀座に出没

この人から連絡があり、「今度、子連れで大阪に講演に行くから、食事に連れて行け。」というので、「大丈夫なの??」と心配になり、東京に出掛けたついでに、「子連れ」食事会リハーサルを実施して、実態を観察をすることにした。犠牲者メンバーは8年程前に別府へ一緒に視察に出掛けたオヂサンたち4名を厳選した。この人、別府では、オジサンたちが視察している間、ヒマだからと、夜の繁華街の往来でワインを腰当てラッパ飲みをしていたという逸話を残している。子連れで行ける店はわからんので、この人に任せたところ、なんと、有楽町駅前の今どきのビルの今どきのトラットリアである。「エエんかいな?」と、思いつつ行くと、まだ夏の終わりで、クソ暑いというのにJRが見渡せるテラス席だった。

オジサンたちが揃った後、悠々と「子連れ」がやって来た。なんとお子たちは鉄ちゃんで、だいたいムズがることもなく、「あっ,あっ。」と、新幹線や山手線を指差してご機嫌で過ごされていた。以前にもデラックスな官僚さんにおぢゃうちゃんのオシメを替えさせているところを目撃したこともあり、ウスウス気が付いていたのだが、やっぱり、この人、いわゆる「子供放置プレイ」マザー?だったのである。見るに見かねたイタイケなオヂサンたちが入れ替わり立ち替わりお子たちの世話を焼くハメになった・・・。

21時半を廻って、おぼっちゃまがお店の床に這いつくばる等の行為が目立ち始めたところで、オヂサンたちは「子連れ」を強制送還することにした。ところが、何と、この人、サイフに「しぇんえん」しか所持しておらず、おぢゃうちゃんに「べってぃー(オジサンのひとり)、お金、貸して。」と言わせて、「べってぃー」に自分たちの分を支払わせた。一応、お子たちが床に散布した食べ物の残骸は保護者責任を遺棄せず、チャチャチャっとだけ片付けたことは付け加えておく。

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有楽町駅前に我が物顔、かつ堂々と駐輪していた3人乗り改造電動補助付自転車には、ご自身のケータイも置きっぱで、「アハハハ、あってよかった。アレ?こんなのがつけられてる・・・。」と、「迷惑駐輪警告書」を引きちぎった。おぢゃうちゃまのメットは載っけただけ、おぼっちゃまのメットは横向きで、もちろん、子供シートの安全ベルトは未装着ときた。この人は、チョー、プラス思考全開で、この自転車が何かに当たったり、コケルこと等は全く考えていないのである。「バイバーイ」、「子連れ」3人組は意味不明の歌を歌いながら、有楽町の人通りの中をノロノロと、しかし、逞しく走り去ったのだった。

「いやはや、あの子らもオオモノになるわ・・・。」と、すっかり疲れ果てたオジサンたちは、見送った後、遅くまで飲み直したのはいふまでもない。

後日談2、こづれオーカミ、梅田を襲撃

とうとう、その日がやってきてしまった。

こちらは、宿泊予定の宿泊施設近く個室居酒屋を予約していたのだが、大阪名物、お好み焼きを食べさせろ、という脅迫を受け、無謀にも帰宅時間が始まる頃の地下鉄梅田駅で待ち合わせるハメになってしまった。

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こづれオーカミご一行が、地下鉄のプラットホーム階からエスカレーターにバギーを乗せて上がってきたのだが、改札には見向きもせず、こづれオーカミは、上のおぢゃうちゃんの手を引いて、駅構内のトイレに消えていった。その間、5分ぐらいだったろうか、下のおぼっちゃまが乗ったバギーを放置したままで、出てくるまで、こちらは気が気ではなかった。なんと、この日、東京から京都経由で、奈良見物をしてきたらしい。

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大阪名物、モダン焼きなんかをお召し上がり頂いて、下のおぼっちゃまが店内を匍匐前進で徘徊を始めたところで、宿泊施設にお帰り頂いた。

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その時は、その地下鉄を運行している◯◯市からの講演依頼だったそうだが、未だに、昔の名前で、ちょこちょこ出ているそうだ。

なんと、噂によると、最近、ご主人の転勤で、関西方面に住んでいるらしい。触らぬこづれオーカミにタタリなし、クワバラ、クワバラ…。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2012.09.

最終更新;2015.03.02.

文責;平野龍平

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