田中 真木(たなか まき)さん

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COREZO「実は頑固で厳しい、心も身体も喜ぶ、ほんまもんの母の味」賞

 120530田中真木

田中 真木(たなか まき)さん

Contents

プロフィール

福岡県八女市出身、在住

旧大内邸生活文化研究会 会長

ジャンル

食/料理/母の膳

伝統文化/旧大内邸の保存と活用

経歴・実績

福岡県八女市立花町にある白城の里(しらきのさと)「旧大内邸」は明治から昭和初期にかけて、政治家として、その後は東亜同文書院の院長として、日中友好親善につとめた大内暢三(ちょうぞう)の生家を一般公開し、生涯学習・文化交流・地域振興の施設として活用されている。

1998年 荒廃が進む旧大内邸を「立花町の財産としてどうしても残したい。」という強い想いで保存会を立ち上げ、署名運動、募金運動(かわら一枚運動)等を行なう

2000年 熱い想いと保存運動の結果、旧大内邸は、立花町に寄付され、町の有形文化財として保存が認められる

2001年 1年間に渡る修復工事を終え、見事に甦り、白城の里(しらきのさと)「旧大内邸」としてオープン

八女市からの委託により、白城(しらき)の里 旧大内邸生活文化研究会がその管理運営をしている。

受賞者のご紹介

「旧大内邸」の保存活動から「母の膳」の提供へ

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旧大内邸は明治17年の建築と伝えられ、白木地区の山村には珍しく町屋造りの建築の特徴を有し、豪農の屋敷の風格も備えていた。 しかし、時代の移り変わりの中で、建物の痛みがすすみ、廃屋同様になった旧大内邸を地域の財産として後世に残そうと立ち上がったのが、近所に住む専業主婦をしていた田中 真木(たなか まき)さんだった。

署名運動、募金運動(かわら一枚運動)等を行い、旧大内邸は、立花町に寄付され、町の有形文化財として保存が認められて、修復工事を終え、見事に甦った。

今では入手し難い貴重な材をふんだんに使ったその優美で端正なたたずまいは、風が通る座敷、美しい中庭、手作りの暮らしの良さを伝える生活道具に野の花等々と見事に調和している。

hahanozen旧大内邸では、地元の無農薬の朝取り野菜だけを使った「母の膳」(週末限定、3000円~5000円、予約制)も提供している。優しい味わいが評判で、予約が取れない程、多くのお客様で賑わっている。

2010年、ご縁があって、筑紫の豪族であった「磐井を偲ぶ会」に参加し、その墳墓といわれる福岡県八女市の岩戸山古墳を訪れた。元岩戸山古墳資料館の館長で、「筑紫の磐井」の著者である太郎良 盛幸(たろうら もりゆき)先生が案内して下さった。その夜、懇親会が「旧大内邸」で催された。八女を訪れるのは初めてで、「旧大内邸」に関しても何の予備知識もなかった。

どこに連れて行かれるのかも知らず、八女市内の宿泊ホテルから車に分乗して約15分で、「旧大内邸」に到着。何の期待もしていなかったのだが、薄暮の中、外観を見て、「これはひょっとして…。」の予感がした。

玄関を入ると、外観以上に立派なお屋敷である。土間も座敷も廊下も掃除が行届き、調度もしつらえも年期の入った雰囲気のあるものばかりである。中庭も手入れが行き届き、庭に面したガラス戸はピカピカに磨き上げられていて、経験上、更に期待は膨らんだが、現実は、それをはるかに上回るものであった。

お口と胃袋とハートを鷲掴みに…

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乾杯をして宴席が始まり、田中真木さんが座敷に来られ、挨拶された。この方は「旧大内邸」の身内の方(大奥さま?)で、道楽か何かでお料理をしておられるのだろうと勝手に推察していたが、お話しを伺うと、とんでもなく凄い方というのがわかった。でも、そんな気負いもてらいもなく、とても気さくで朗らかな方であった。

こんにゃくの刺身、白和え、炊き合わせ、野菜たっぷりのひじき、柿なます…、色とりどりの料理が並び、そのお料理を一口頂いた瞬間に、心遣いと愛情まで伝わってきて、イタイケなおっちゃんたちのお口と胃袋とハートは鷲掴みにされてしまったのである。

熱々の椀もの、天ぷらも頃合いを計って、次々に供される。どれも調理、味付け、食感等々の異なる20品目以上のバラエティーに富んだ野菜料理、献立だった。どれもが美しく、全て素材を活かす上品な薄味で仕上げられている。これなら少々食べ過ぎても大丈夫?しかも、全てがおいしい。思わず唸ってしまった。

〆の炊きたてのごはん、みそ汁と一緒に出て来たお漬け物も秀逸であった。

ほんまもんのお漬物

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漬け物はご存知のように、ぬか床の維持に手間が掛かり、今の都会の一般家庭では、漬け物を漬けるという習慣は無くなって、加工食品としてスーパーで買って来るのが普通になった。飲食店、宿泊施設でも自前で漬けているようなところはめったに無い。漬け物は脇役と軽視され、調理効率を重視して、大半が添加物が思いっきり入っている業務用を使っている。

そんなことを知ってしまってからは、怪しげな漬け物は一切、口にしないのだが、田中真木さんのお漬け物は、コレゾ「お漬け物」と呼ぶべき、ほんものの「お漬け物」で、約10種類もの色とりどりの野菜が綺麗に盛りつけられていて、どれも野菜の味が引き立っていて、美味いという他はない。感動した。

かなり飲んだ後だったので、食べきれず、あまりにもったいないので、無理をお願いして、持ち帰らせて頂き、翌日、宿泊ホテルでの朝食時に、もう一度、美味しくいただくことができた。

塩や醤油や味噌等の調味料にもこだわり、厳選した地元の旬の朝採り無農薬野菜や食材を活かすことを第一に心がけ、全てのお料理は、田中真木さんと3人の地元のお母さんたちの手作りで、まさに「母の膳」である。その素晴らしいお料理を生み出す調理場ものぞかせて頂いたが、それは見事に片付いていた。

素材を吟味して、技術を持った人が美味しくなるように作れば、それなりに美味しい料理は作れるが、どんな高級で希少な食材を使って、手の込んだ調理をしても、食べた人が感動する料理を作れる訳ではない。

一品、一品から伝わる一切手抜きをしない姿勢、心遣い、お人柄…

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お客様に喜んで頂くために、一切手抜きをしない姿勢、心遣い、お人柄が、一品、一品のお料理から伝わって来て、食べた人は、皆さん、笑顔になるのである。

たまに、どこかに出掛けた時ぐらいは、「ちゃんとしたもの」を食べたいが、そんな思いはめったに叶った試しがない。田中真木さんは「田舎で普段食べている普通の料理」とおっしゃるが、客の期待を平気で裏切って、パウチの業務用惣菜を恥ずかし気もなく、客に供している飲食店や宿泊施設の料理は一体何と呼べばいいのか?

旧大内邸を復旧して、一般公開を始めた後、もっとお客様に足を運んで頂く方法はないかと考えた結果、当初は予定していなかった食事を提供することになったそうだ。

「ご実家は料理屋さんとか、旅館をしておられたのですか?」と尋ねたところ、お母様がご病弱で、小学生の頃から、お父様の晩酌の肴と食事のお世話を真木さんがされていて、そのお父様が酒豪かつ、美食家で、料理の基本を仕込まれたそうだ。

一度も「美味しい。」と褒められたことはなかったそうだが、「父ほど、美味しそうに食べる人は見たことがない。」とおっしゃるように、子供心にも、お父様が美味しそうに召し上げる姿を見たさに、自然に腕を磨かれ、お父様も満足されていたのだろう。

四季を楽しみ、素材を活かし、知恵を伝える

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「自然の恵みが大好きなので、春になるとウキウキしますね。今でも、どんどん山に入って山菜や野草を採ってきますよ。その代わり、野菜作りは上手な方にお願いしていますが、お客様が美味しそうに召し上がって下さるのを見るのが一番嬉しいですね。」とおっしゃる。

熱い想いを叶えて、旧大内邸を維持するだけでも大変なのに、食だけにとどまらず、「何事にも好奇心を持って主婦の仕事を大好きになること」
、「いいものを大切にして、心豊かに過ごした昔の暮らしの良さを伝えたい」と、文化や歴史・人や自然など、見過ごされて来た地元にある豊富な資源に独自の視点で目を向け、活動を拡げておられる。

また、周囲からの要望もあり、そろそろ、次の世代に伝えることもはじめようと、この旧大内邸で、「番子deメッセ(仮称)」という活動も計画中とのこと。「番子(ばんこ)」というのは八女の言葉で、「縁台」のことだそうだ。

昔は、この辺りのどの家にも軒先に「番子」が置いてあって、夕涼みがてら、近所の人々が腰掛けて、年長者から、いろいろな話を聞いたり、知恵を教わったことにちなんでいるそうだ。

「見かけは優しそうに見えるそうですけど、これで、結構、頑固で、厳しいんですよ。」とおっしゃるようにビシーッと筋が通った方で、これまでお会いした中でも最も敬愛する女性の1人である。でも、とっても気さくで、チャーミングな方なので、初対面の時から、心の中では、「マッキー」と呼ばせて頂いている。

現在、「マッキー」こと、田中真木さんの「爪のアカの煎じ薬」の独占販売権の交渉中である。

真木さんとそのお料理だけで、おつりが来るぐらいの訪れる値打ち

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田中真木さんとそのお料理だけで、福岡県八女を訪れる値打ちがおつりが来るぐらいある。九州に行く度に伺うのだが、いつも元気と笑顔を分けて頂いている。何も宣伝はしていらっしゃらないのに、最近では、遠方から旅館や飲食店の経営者の方々もよく来られるという。これ以上有名になられて、予約が取れなくなるのはちょっと困りものだ。

コレゾ賞を受賞して頂きたいとお願いしたところ、「表彰なんて、どうして私が?こんな田舎の当たり前のことを普通にしているだけですよ。」とおっしゃるので、「今では、その当たり前のことが、当たり前ではなくなって、普通にしておられることがスゴイことなので、お願いしています。名誉なし、権威なし、賞金なしの何の値打ちもない三なし賞ですし、由布院の中谷 健太郎さん溝口 薫平さんも受賞して下さいます。」と申し上げると、

「えっ?中谷 健太郎さんも受賞されるのですか?以前から、大ファンで、尊敬している方なんです。」ということで、ご了解頂いた。

由布院の中谷健太郎さんも真木さんの料理の大ファン

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後日、由布院亀の井別荘の中谷健太郎さんにその話をすると、「あれ、もう真木さんにまでたどり着いちゃったの?目敏いなぁ。僕も真木さんの料理に感動して、ウチの調理場も連れて、何度も伺ってるんですよ。」と絶賛しておられた。また、阿蘇の坂本英俊さんとも星野村時代から懇意にされているとのことで、コレゾ賞を受賞して頂きたい方はどこかでつながっておられる。

普段から、田中真木さんがおっしゃる田舎の普通の食事を召し上がっているから、あんなにお元気で、ご活躍されているのだろう。「食」は大切だと改めて思う。

COREZO(コレゾ)「実は頑固で厳しい、心も身体も喜ぶ、ほんまもんの母の味」である。

後日談1.「ひと口でおもてなしと言っても講座」

真木さんが取り持って下さったご縁

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2013年1月某日、当サイトの田中真木さんの紹介記事を読んで下さった朝日新聞論説委員の大矢 雅弘(おおや まさひろ)さんという方からメールを頂いた。

1/30に旧大内邸で、田中真木さんが語り手、大矢さんが聞き手となって、「ひと口でおもてなしと言っても講座」(筑後地域雇用創造協議会主催)というイベントが開催されるそうで、当日、会場に来られる参加者にもぜひ読んで頂き、COREZO賞という賞の存在についても、広く知ってもらいたいのでその紹介文を配布したいとのことだった。

田中真木さんはインターネットとは全く無縁の暮らしをされていて、本サイトの紹介記事も、そのイベントの打合せ時に大矢さんがプリントアウトして持って来られて、初めてお読み頂いたようで、「ほめ過ぎで、恥ずかしいが、感謝。ご招待するので、こちらに来られる機会があれば、おいで下さい。」とのお手紙も頂いた。

記事を書くプロの記者さんからのご依頼に、恐縮しながらも、「あんな稚拙な文章で差し支えがなければどうぞご利用下さい。」と返信し、おもしろ(かつ、おいし)そうなので、別用もつくってそのイベントに参加することにした。

当日はお断りする程の盛況で、満席だったそうだが、何とか席をつくって下さり、コレゾ賞受賞の中村武夫さんご夫婦とご一緒に八女の旧大内邸に伺った。真木さんがにこやかに出迎えて下さり、温かくて柔らかい両手で握手して下さった。そして、会場に上がり、大矢さんにもご挨拶した。

真木さんはゆったりしたチェニック?というのだろうか、いつもの装いで会場にご登場。その日はなんとヒョウ柄だった。ウールのソックスにちょっと毛玉ができていて、とってもキュート。すぐ横の席だったので、よく見えたのである。

作家の五木寛之さんと真木さんとのエピソード

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初めて訪れた時から、旧大内邸に飾られている作家の五木寛之さんと真木さんのツーショットが気になっていたのだが、その五木さんとのエピソードからトークは始まった。

五木さんは八女のご出身で、生後間もなく朝鮮半島に家族と渡り、戦後、引き上げて来られ、高校卒業まで八女で過ごされた。若くして両親を亡くされ、家族を養うために随分とご苦労されたようで、早稲田大学進学後は故郷を封印されていたそうだ。それを知った真木さんはいつか八女に笑顔で戻って来て頂けるようにと、五木さんの著書を集め始め、お客様からも寄贈頂くようになり、旧大内邸の蔵を改装して、「五木文庫」を開設した。そして、どなたかからその話を聞かれた五木さんが訪問して下さったそうだ。

「15分しか時間が無い。」とおっしゃっていたのに、いつの間にか話し込んで、夕方までゆっくりと過ごされ、福岡空港を発つ前に奥さまに電話をされたようで、「あんなに喜んだ五木は初めて。」と、奥さまから真木さんにお礼の電話があり、以来、交流が続いているそうだ。ツーショットは、「記念撮影もどうぞ」とおっしゃって、ご一緒に撮影したうちの1枚だとのこと。

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真木さん、無謀にも石見銀山の世界遺産登録祝いに駆けつける

また、地域おこしを願って、石見銀山の世界遺産登録に尽力されていた中村ブレイス社長の中村俊郎さんのことを報道で知った真木さんは、その登録が決まった時に、自分のことのように嬉しくなって、一面識もなく、事前に連絡もしないで、航空機とバスを乗り継いでお祝いに駆けつけたが、用意してきた花束を空港で忘れて来てしまった。

道中で知り合った見ず知らずの旅の道連れにも手伝ってもらって花屋を探したが、どこにもない。仕方なく手ぶらで訪問したのだが、偶然にも出先から戻って来られた中村社長とお会いすることができ、その上、歓待して下さったそうだ。

真木さんは、その時に頂いた著書を読んで、20歳の頃に新聞記事か何かで、利用者の立場に立って、義肢装具をつくっている方が島根県にいらっしゃることを知って感動し、心の底のどこかでずっと気になっていた方こそ、中村社長であることに気づいた。その後、それが朝日新聞の記事だったことがわかり、真木さんが敬愛する大矢さんとのご縁も感じられたという。

由布院のまちづくりを楽しみながらまっとうに続けて来られた亀の井別荘の中谷健太郎さんの著書を読んで、ファンになり、実際に会って更に大ファンになった等々、真木さんと人々との出会いやご縁、交流に関して大矢さんが尋ね、おもしろおかしくエピソードが語られた。

以下は紹介記事本文と重複する部分もあろうかと思うがご容赦願いたい。

大矢さん 本題のもてなしについて

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「皆さんのお手元の紹介文は、書かれた方がそこに座っていますが、見当違いもいいところで、ハハハハ。商売が先にあったわけではないので、もてなすなんて何にも考えてなくて、やりたいことをやっているだけ、来て頂いた方と同じ位置で、空間、時間を過ごしているだけ、今のこの時間をお客さんと一緒に楽しく過ごしているだけなので、お恥ずかしい限りです。」

「でも、ご予約を頂くと、電話でお話ししながら、まだお会いしたことのないお客様のことを思い浮かべて、どうすれば喜んで召し上がって頂けるかを考え、お料理をつくるのが楽しくって、この歳になっても料理を作るのがもっと、どんどん好きになっています。それにお客様とお会いして会話すると学ばせてもらうことばかりで有難いですよ。」

大矢さん 真木さんのお料理を召し上がって、食事の最中に泣き出す方も?

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「ええ、何人もいらっしゃいましたねぇ。皆さんがご存知の大会社の社長さんも・・・、お母さんのことを思い出されたのではないでしょうか?ここでは地位も名誉も目先の商売も何も気にする必要がなく、肩肘を張らなくても過ごせる場所なので素の自分自身に戻れるのかも知れません。」

大矢さん 3.11以降、お客様に変化は?

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「ええ、元々、旧大内邸のファンやリピーターさんは、食べ物と健康に関心の高いお客様が多かったのですが、この先、いつどうなるかわからない、経済効率や時間に追われるのではなく、豊かな時間をゆっくり過ごしたいという方が増えましたね。」

大矢さん 子供の頃からお料理を?

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「小さい頃から、病弱だった母の役に立つことが生き甲斐でした。私は飽き性なので、同じことをするのがイヤで、同じ料理ばかり作るのは大嫌いです。同じ野菜を使っても工夫ひとつでさまざまな料理ができます。こちらでお出しするお料理も作っている間に、こうした方が美味しいんじゃないかと思いつくと、その場で変えてしまいます。だから、お料理だけはちっとも飽きないですね。」

「42歳で他界した父は厳格でしたが、人の面倒見がよく、家はいつも千客万来で他所の人が居るのが当たり前、中には3〜4年も住み着いている人も居たりして、家族だけでなく、その方たちの食事も作っていて、根っからお客様が大好きでした。」

大矢さん こちらで料理をお出しするようになったのは?

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「最初はご要望に応じて、おにぎりやお漬け物等を無料でお出ししていたんですが、こんな料理、あんな料理も食べたいけれど、お金を取ってもらわないと頼み難いと言われて、それで、お代を頂くようになるとさらにご依頼が増えまして・・・。」

「人々が出入りすることで、家は生き長らえ、輝きを増します。この旧大内邸が再生できても、保存、維持して行くには、建築、建物だけでは繰り返し来て頂けないので、料理をお出しするようになっただけで、万事、無計画の行き当たりばったりなんですよ。」

大矢さん 食後、寝てしまうお客様もいらっしゃるとか?

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「美味しく召し上がって頂いて、満腹になって、食後に休憩して頂くのは大歓迎です。『やったー』ってね、大喜びで枕のご用意をしますよ。でも、閉店時間が近づいても熟睡しておられる方を起こすのは気の毒ですね。」

「肩の力を抜いて、ゆっくり食べて、ゆったりくつろいで頂ける場所でありたいと願っています。二階に『とろりの間』と名付けた部屋があるのですが、食後に休んで頂く場所にしようと考えています。」

大矢さん 番子deメッセとは?

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「柳川弁で『番子』は『縁台・床几台』、『めせ』は『ませ』、『メッセ』とかけています。ひと昔前まで、子供たちは家々の軒先の番子で年長者やお年寄りと話をして、なんとなく、ぼんやりとした社会入門のようなことをしていました。その現代版で、主婦同士、同じ立ち位置の寄り合い講座のようなものですね。」

「ご先祖様の着物を再利用して、小袋や小物入れを作ったり、大人の紙芝居でほっとするひと時を過ごしたり、料理教室もレシピ等なくて、その時に穫れる旬の野菜を使って、皆でワイワイいいながら何品か作っています。内容も参加された方のリクエストに応じて、決めたり、変えたりしているんですよ。」

「私ももう77歳ですから、そろそろ引退のタイミングを見極めながら、この旧大内邸を始めた責任を果たすためにも次の世代に引き継いで行かなければなりませんが、年齢を重ねた分、世の中の責任も軽くなって、楽に生きるていると毎日が楽しくて、スタッフや参加者の皆さんとより良く時間を使い、過ごそうと心掛けています。」

真木さん 『一流の主婦』を目指した

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「嫁入りして、毎日、姑に言われることが腹立たしいので、その腹いせに後で小説にでもしようとメモを取っていたのですが、しばらくして見直すと実につまらない事ばかりで、それっきり、くだらないことにエネルギーを費やすのはやめました。実は、バックの誘導が下手だったので車の免許を取らせてもらえなくて、自分一人ではでどこへも行けませんでした。それならということで、『一流の主婦』を目指そうと思ったんですよ。」

「そうなると、家事や家のことは何でもやりたくて、裁縫は、子供がこんな服が欲しいと持って来た雑誌の切抜きを見ただけで作っていましたし、大工さんが家に来たらいつも手伝っていたので大工仕事もそこそこできるようになりました。畳替えもやりたかったのですが、それだけはやらせてもらえませんでしたね。でも、その他の大抵のことはこなしましたよ。まぁ、お料理は、したいとかではなくて、『食べさせたい病』というか、一種の病気みたいなものですね。自分のことにがんばるより、周りの人が喜んだり、楽しんで下さることの方が楽しいんですよ。」

大矢さん そろそろ、昼食時間なので、一旦、まとめましょうか?

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「あら、もうそんな時間ですか?豆腐の出来上がりを12時半にしていまして、皆さんに熱々を召し上がって頂きたいので、もう少しお時間を下さい。私自身、好奇心の塊で、身内が病気になっても、心配するより、その病気自体が未知との遭遇で、闘病や看病にも興味が湧いてきて、それを極めたくなるんです。」

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「生きていくためには食事はとても大切で、大きな力を持っていると思います。自分が作った食事で病人が食欲を取り戻して、美味しそうに食べてもらって回復していくのを見るのは楽しいし、実際に元気になってくれると心底嬉しいです。こんなにやりたいことをやらせて頂いて、自分の趣味を活かさせてもらって有難いと感謝しています。」

真木さん 住む人が居心地の良い家こそ究極の住居

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「本当に大切なもの、大事なものは、目には見えない、言葉にもできないのかも知れません。ここに見学に来られた建築家の方が、住む人が居心地の良い家こそ究極の住居だとおっしゃっていました。この旧大内邸は決して贅を尽くした豪邸ではありませんが、質素なつくりの中にも凛とした佇まいがあり、外の空間と共存している日本家屋本来の良さとも相まって、とっても居心地が良いと思います。」

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「私もここのスタッフもここが大好きで、毎日、来るのが楽しくて・・・。皆さんも何度でもいのちと心の洗濯をしにいらっしゃって下さい。今日は皆さんのおかげで楽しい時間を過ごさせて頂きました。有難うございました。」

大矢さん ごく当たり前のことをごく普通にすることがおもてなしの第一歩

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「病人の看病まで楽しく極めてしまうというのはさすがというか、真木さんならではですね。できたて、熱々の豆腐をタイミング良く召し上がって頂く、ごく当たり前のことをごく普通にすることがおもてなしの第一歩かもしれませんね。真木さん、皆さん、有難うございました。」

見ただけで食べる人を和ませ、思わず笑顔にしてしまう料理

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その後、大矢さん、参加者の皆さんとご一緒に真木さんのお料理を堪能した。品数が品数なので野菜だけで満腹になってしまうのだが、一切お腹にはもたれない。作る人の意識によっては食べる人に緊張を強いる料理もあるが、真木さんの料理は見ただけで食べる人を和ませ、思わず笑顔にしてしまう。

当日のセロリの風味を利かせた白菜の小鉢は和食では初めて食べた味だったが、実にうまかった。いつもこちらのちっぽけな予測などははるかに超えた料理が供されるので感動するのだ。涙する人がいらっしゃるのもわかる気がする。迎える側が楽しんでいなければ、訪れる側が楽しめるはずがない。

真木さんのお料理は、素材、調味料、調理、タイミングは勿論、そのお人柄、スタッフの皆さんの心意気、旧大内邸の雰囲気、訪れた皆さんとの間合い等々、それら全ての絶妙なバランスで成り立っていて、「おもてなし」という言葉で片付けてしまうのは安直すぎるような気がする。

なぜか、古典落語の名人芸を舞台袖で見せてもらったのと同じような感覚、心地よさを感じた。

ご馳走さま、そして、有難うございました。

大内暢三(ちょうぞう)さんは亀の井別荘のVIP客だった

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翌日、由布院を訪れ、亀の井別荘の中谷健太郎さんにもお目に掛かる機会があった。

真木さんにお会いしたという話をすると、別府開発に尽力した油谷熊八さんが、中谷さんの祖父である中谷巳次郎さんとともに客人をもてなすために建てた別荘が亀の井別荘の前身だそうだが、その別荘の時代からどんなことがあってもこの方だけは最優先するよう言われていたVIPが大内暢三(ちょうぞう)さんだったと教えて下さった。

何かのご縁を感じて、その場で真木さんに電話して、携帯をお渡しすると、「真木さん、こんにちは。中谷健太郎です。今ね、ヘンな人がやって来て、真木さんの話をするんですよ、ハハハハ。そちらへ行きたい、行きたいと言っておきながら、いつも空手形でごめんなさい。今度、息子を連れて行きますね。」と、健太郎さん。

健太郎さんの大ファンである真木さんが大喜びだったのは言うまでもない。ご馳走のささやかなお返しになったら嬉しい。

後日談2.秋の膳、70人分を調理する真木さんの台所の秘密

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2013年、旧大内邸で、「 秋の膳」とシャンソンを楽しむ集いがあり、参加させてもらった。当日は70名分の秋の膳を用意しておられるという。

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「一流の主婦」恐るべし

イベントの翌日、その調理場を見せていただくことができた。

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なんと、70人分の調理をしておられる舞台裏は、家庭用のコンロ2台しかなかったのである。

「ハハハ、元々、お料理を出す予定はなかったら、台所もなかったし、後から、もらってきたのを使っているのよ。ま、万事が行きあたりばったりだけど、工夫次第で、どうにかなるものよ。」と真木さん。確かに、蔵でご飯を炊いたり、いろいろ工夫をされている。

料飲業をかじった方ならおわかりになると思うが、「一流の主婦」恐るべしなのである。

「何びゃくまんえん」もするシステムキッチンを揃えれば料理が上手くなると思っているアナタ、真木さんの「爪のアカの煎じ薬」を独占販売中!!

賄いもおいし〜

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「冷蔵庫の余り物をシチューもどきにしただけだけど、召し上がる?」と、賄い料理をご馳走になった。実は、家業は料飲業をしていたので、料理屋の賄いが美味しいのを知っているのである。味噌味に豆板醤と隠し味にヨーグルト?が入っていて、それはそれは美味しゅうございました。

ご馳走さまでした。

後日談3.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談4.価値観が違うお客様にお越し頂くのはお互いが不幸

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「3000円の母の膳は何品出ますか?5000円の膳は何品ですか?と、電話で尋ねてこられるお客様もいらっしゃいます。」

「その季節、その日によって、手に入る食材も違いますので、品数は何品とは今申し上げられませんが、3000円の膳は3000円のお料理、5000円の膳は5000円のお料理をお出ししていますとお答えすると、さらに、どんな料理内容ですか?って…、家庭の主婦がつくる料理なので、お客さまのお口に合うかどうか、他を当たられた方がよろしいのでは…とか、お互いが不幸になる前にやんわりとお断りすることもあります。」

田中 真木(たなか まき)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.10.14.

最終取材;2014.06.

編集更新;2015.03.10.

文責;平野龍平

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