河津 耕治(かわづ こうじ)さん

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COREZO(コレゾ)「命を大切にする農業・地域づくり・森づくりから、自給自足の癒しのムラづくり」賞

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河津 耕治(かわづ こうじ)さん

プロフィール

熊本県南小国町出身、在住

野風(やふう)ムラ 代表

ジャンル

食・農業/自然農

林業/森づくり

観光・地域振興

経歴・実績

米国で畜産を学び、帰国後、「食用牛経営」を経て、

「地域おこし」、「森づくり」等に取り組む

「野風ムラ」を開ムラ

2007年 パン工房開設

2010年 農家民泊「なごみ」開業

2011年 阿蘇ゆるっと博 阿蘇小国郷エリア コンシェルジュ

受賞者のご紹介

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河津さんの考える「新しい田舎への挑戦」

河津 耕治(かわづ こうじ)さんは九州のほぼ中央、阿蘇外輪の北側、標高4〜700mの「小国郷」と呼ばれる南小国町中湯田で「野風(やふう)ムラ」を営んでおられる

2010年、阿蘇財団法人阿蘇地域振興デザインセンター(以下、阿蘇DC)の事務局長をしておられた坂元 英俊(さかもと ひでとし)さんを訪ねた際に知り合った。

河津さんは、農家の長男として生まれ、子供の頃から何の疑いもなく、家業の農林業を継ぐと決めていたそうだ。現在、農地70アール、森林8ヘクタールを有する。ご自身が管理する約2000坪の敷地に「野風ムラ」と名付けた「癒しの場」を創造して来られた。「野風ムラ」には川が流れ、300本以上の雑木と栗園、菜園、陶芸工房、菓子製造所、パン工房、ピザ釜、瞑想ハウス、宿泊所等の建物が点在している。それは、河津さんの考える「新しい田舎への挑戦」でもあるという。

「学生の頃に読んだ仏教書の不殺生の物語から影響を受けたのかもしれませんが、農薬、化学肥料は土中の微生物も含めて多くの生き物達の命を不必要に、しかも無差別に奪ってしまうと考え、とにかく最初から、命を大切にする農業をやろうと思ってました。それが自慢になるかどうかはわかりませんが、自分の農業人生の中で1つだけ自慢できることは、農薬、化学肥料を使った農業をしたことが殆ど無いということです。」と、河津さん。

安全で健康な「肉用牛」経営

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農業高校を卒業し、米国オレゴン州での2年間の農業研修で畜産を学び、帰国後、21才の時に農業を始めた。まず取り組んだのが、肉用牛経営。牛舎を建て、「肉用牛」1頭から牧畜をはじめ、13年後には常時130頭を飼育していた。

牧畜を始めるにあたって、河津さんは安価な独自の発酵飼料(納豆&大鋸屑入り)を開発した。発酵食品は人だけでなく、牛にとっても健康食品で、それを食べた牛たちはとても健康に生育し、病気知らずで、最終的に大きな利益になって還って来た。

「命を大切にする農業は楽しく歓びがあり、さらに利益も得られる」ことを自ら実証した。

肉用牛経営で満足できる結果が出せるようになり、「目指す山の頂きに登った」という達成感を得て、次の山を目指したいと思い始めた。また、当時、肉用牛を飼育する牧畜業を取り巻く経営環境は厳しくなりつつあった。ゆくゆくは合理的かつ企業的な経営をせざるを得ず、一般的に、利潤を追求すればするほど、安全性が犠牲になるというのも嫌だった。そして、34歳の時に、奥様の了解を得て、順調だった牧畜業をあっさりと廃業した。

黒川温泉と同時期に「地域おこし」に取り組む

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南小国町は都会から遠く離れた阿蘇の山間部にあり、当時、既に過疎が進行していて、住民の多くが時代から取り残されていくような不安感を抱いて生活していた。そんな中、「このままでは自分たちのムラの状況は益々悪くなる」と、危機感を持った農林業の若者達が10名ほど集まり、活動を始めた。

河津さんが考えた地域おこしのビジョンは、「清い自然」、「清い心」、「清い品」のある「きよらの里づくり」。これが仲間たちの賛同を得て、民間主導の地域おこしがスタートした。「花いっぱい運動」、「日本一親切な人々が住む町」、「文化の豊かな町」、「無農薬農業推進の町」等々、「きよらの里づくり」の方針に沿った活動を進めた。その後、町行政も参加することになり、官民一体となった「きよらの里づくり」が展開されることになった。

その頃、同じ町内にある黒川温泉地区でも数名の若い旅館主達が黒川温泉おこしを始めていた。当時の黒川温泉は日曜、祝祭日でもお客さんが少なく、まさに閑古鳥が鳴いている状態で、露天風呂で活路を見いだそうとしていた。お金がないので、最初は館主自ら手作りの露天風呂を造って、その周りに雑木を植えた。また温泉地区内の他の場所にも雑木を植え、黒川全体を森の中の癒しの温泉地として売り出し、人気温泉観光地に変貌して行った。

人口5千人足らずの南小国町の自然環境を大切にした地域おこしによって、始めた当初の年間入り込み観光客数70万人が、17年間後には倍以上の150万人になり、その経済効果は大きく、河津さん自身も、陶芸や無農薬米を使ったせんべい販売で恩恵を受けているという。

次に関心が向かったのは、「森づくり」

阿蘇小国郷は、昔から林業の盛んな地域で、河津さんも林業をしておられるというので、山に連れて行ってもらったことがある。人工林だが、手入れが行き届き、地面にまで陽が射して明るく、下草や植林された杉よりも背の低い広葉樹が生い茂り、見上げると空が広がっていた。

河津さんは、長さ4m程の釣り竿を手に持って山に入り、「残して大きく育てたい木を中心にこの釣り竿を半径とする円を描き、その円内の木を成長段階に応じた密度の本数になるよう間伐するんですよ。」と、教えて下さったのだが、何のことかよくわからなくて、気になっていた。

中学生の頃、父親と初めて山に入り、間伐作業などを手伝うようになったそうだ。当時はまだチェーンソーなどなく、大きなノコと斧を使って、杉を切り倒して、玉切りにし、大鎌で筋状に皮をむき、よく乾くように組んでしばらく山に放置して、軽くなった頃に土駄引馬で山から引き出し、馬車で市場に運んだという。

山仕事の手伝いをしていると、父親から、「Sさんの山は凄いぞ、杉山に入って物干し竿を振り回しても、隣の木に当たらない位に強度間伐されていて、大径木が育つ本当に良い山に育てている。」と、度々聞かされた。

その話が特に印象に残っていて、将来、自分も強度間伐をして、良い山を育てたいと思ったという。肉用牛経営や地域おこしに励んでいた頃は、林業への関心はその分薄くなっていたが、間伐作業では、Sさんの山を目標に強度間伐を心がけて実践してきた。

そして49歳の時、ある日突然、「これからは森づくりだ!」という直感が沸いてきて、「林業」ではなく「森業」、「森づくり」に大きく関心が向かうようになった。意識が森に向かうと、不思議なもので、それを待っていたかのように「森づくり」に関するたくさんの情報やそれに関わる人々との出会いが次々に訪れた。

「命あふれる森づくり」とは?

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その中でも、河津さんが最も影響を受けたのは、「鋸谷(おがや)式・新・間伐マニュアル」(全林協)という本で、実践した経験上からも、まさに誰にでもできる針広混交の「命あふれる森づくり」のための優れたマニュアル本だという。

Sさんは、鋸谷式によく似た強度間伐で長年、山を育ておられるので、当然、その山は針広混交の美しい森になり、山に入ると静かな「陽気」が漂っていて、日本の多くの人工林が手入れ不足で「陰気」が漂っているのとは大違いだそうだ。

人は陰気な場に近づくと暗い気分になり、陽気な場に近づけば元気をもらえる。「命あふれる森づくり」は「陽気の場」、即ち、「いやしの場」を創ることに繋がる。さらに林業経営としても良い結果が得られることは、Sさんの実績が証明していた。Sさんの山のスギは年輪幅が4ミリで成長していて、大径木で材質も良く、市場ではいつも高値で取引きされてきたそうだ。

「このような素晴らしい林業家の『命あふれる森づくり』が今日、鋸谷式間伐法によって釣り竿一本でやる気さえあれば誰にでも可能です。ただ、25年前には100年生の木材は100万、200年生は200万で取引きされていたのが、今では値がつかない状況になっていて、大変、由々しき問題です。」と、河津さん。

鋸谷式間伐法というのは、福井の若狭地区から始まった新しい間伐法で、長さ四メートルの釣りざおを使って、大きく育てたい木を中心に円を描き、成長段階に応じて細かく決められた密度管理表に従い、円内の本数を間引いていく。この密度管理表が鋸谷式のキモで、30年間の試行錯誤の成果が凝縮されているという。

鋸谷式では、下草を残し、倒した木もそのまま土に返すため、作業が大幅に削減され、生産コスト合理化への恩恵も大きく、必要な人数が減ることで分配が増え、一人当りの平均年収が3年連続で100万づつ増えた森もあるそうだ。

「鋸谷式・新・間伐マニュアル」web版を読んでみたが、シロートが読んでもわかりやすく、興味深い。放置林が引き起こしているさまざまな問題の解決策のひとつだろう。

河津さんの「森づくり」は下記に詳しい。

『野風ムラ』は、自然と共生し、循環する環境力のある癒しの空間

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河津さんは自然と共生する豊かな生活を実践して、癒しの場を創造し、訪れた人々にも体験してもらおうと「野風ムラ」の構想を少しずつ実現して来られた。

「野風ムラ」には、河津さんがご自分の山から切り出し、ほとんど1人で建ててしまったという手作りハウスが何棟も建っている。石窯のパン工房をつくり、息子さんが焼いてパン屋をはじめ、お嬢さんはケーキを焼き、カフェを営んでおられる。

陶芸に興味を持ち、小国の土に自然草木灰釉を使って色付けする小国焼・翔平窯も立ち上げた。自然農法(無農薬、無化学肥料)による米つくりに取り組み、その「きよら米」を原料として「米せんべい」を焼き、商品として販売している。

宿泊棟を建て、さまざまな田舎体験ができる民泊も始めた。一般のお客様の他に、中高生の体験学習旅行も年間約200名を受入れておられる。

「WWOOF(ウーフ)」のホストもしておられる。「WWOOF(ウーフ)」とは、主に有機農場主のホストが食事と宿泊場所を提供し、ウーファーと呼ばれる人が労働力を提供して、相互交流する世界的な仕組みで、これまでに、ロシア、アメリカ、イスラエル、イギリス、オーストラリア、台湾、中国など、いろんな国のウーファーを年に10人程、受入れて来られたそうだ。

「私はいつの頃からか、肉を食べたくなくなって、今はほとんど食べません。私が食べないだけで、家内は食べますが。実は、食肉牛経営をしていた頃に、牛の飼料に魚のアラを入れると牛の気が荒くなるのに気づきました。それでということでもないのですが、野菜中心の食事の方が気持ちも和むような気がします。」

「ウチでは味噌も手作りするので、味噌以外の調味料やウチで作っていない農作物、魚、肉類等は外で買います。特段、意識して自給自足の生活をしようとしている訳ではありませんが、食料に関しては、80%ぐらいは野風ムラ内で自給できていると思います。」

「杉林で弱っている樹木を『野風ムラ』に持ってきて移植すると、何故か、生命を取り戻したように元気になるんです。そうして植えた雑木が300本以上になりました。『野風ムラ』は、自然と共生し、循環する環境力のある癒しの空間です。都会の喧噪や生活に疲れた方々に、ここでゆっくり、のんびり過ごして頂き、元気を取り戻してもらえたら嬉しいですね。」と、河津さん。

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確かに、「野風ムラ」には、いつもゆっくりと心地よい空気が流れていて、さらに、穏やかな河津さんと明るい奥様のお人柄に触れると、ついついなごんでしまう。

コレゾ賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、ご承諾下さった。

COREZO(コレゾ)「命を大切にする農業・地域づくり・森づくりから、自給自足の癒しのムラづくり」だ。

後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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河津 耕治(かわづ こうじ)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2012.12.

編集更新;2015.03.15.

文責;平野 龍平

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