江崎 貴久(えざき きく)さん/海島遊民くらぶ・旅館海月

江崎貴久さん

COREZOコレゾ「海女さんになりたい? 観光から感幸へ、地域が循環するエコツーリズム」賞

江崎貴久さん

江崎 貴久(えざき きく)さん

プロフィール

三重県鳥羽市出身、在住

海島遊民くらぶ 有限会社オズ 代表取締役

有限会社菊乃 代表取締役(兼、旅館 海月女将)

ジャンル

観光・地域振興

国内観光ガイド

鳥羽のエコツアー会社 経営

ツアーガイド

老舗旅館 経営 女将

経歴・実績

京都外国語大学卒業後、東京の総合商社に勤務

23歳から創業明治20年の家業の旅館業を継ぎ、「海月」女将に

初年度から修学旅行生対象に釣り体験を始める

2000年 海島遊民くらぶ 設立

2005年 日本エコツーリズム協会「このガイドさんに会いたい100人」に選定

2006年 環境省第2回エコツーリズム大賞特別賞受賞

2007年 環境省第3回エコツーリズム大賞優秀賞受賞

2008年 内閣府男女共同参画「女性のチャレンジ賞」特別部門賞(環境)

2009年 環境省第5回エコツーリズム大賞受賞

2010年 地域づくり総務大臣表彰 個人表彰

鳥羽市エコツーリズム推進協議会 設立 初代会長に就任

鳥羽市観光協会特別理事・青年部副会長・鳥羽市観光基本計画策定委員・推進委員・鳥羽市エコツーリズム推進協議会 会長・環境省エコツーリズム推進法 基本計画検討委員・環境省エコツーリズム派遣アドバイザー・環境省エコツーリズム有識者会議委員・国土交通省中部運輸局派遣アドバイザー・三重県海区調整委員・環境カウンセラー他

受賞者のご紹介

将来の目標は、50歳になったら、海女さんになること⁉︎

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「きくちゃん」こと、江崎 貴久(えざき きく)さんはカンコー業界ではかなりの有名人で、いつも太陽のように明るい笑顔が素敵な女性だ。ご縁があって、2010年に開催された「大歩危・祖谷いってみる会」発足10周年記念観光フォーラムで初めてお目に掛かった。

「激論 リーダーが語る10年後の観光地づくり~また訪れたくなる地域を徹底検証」というテーマのパネルディスカッションのパネリストとしてお越しになっていた。

「将来の目標は、50歳になったら、海女さんになることです。」

という発言で、会場全体は、「えっ?どうして?なんで?」となって、「きくちゃん」の話術にハマったのである。その後の懇親会、二次会で意気投合し、大いに盛り上がり、盛り上がりついでに、栃木県の温泉や東京でもオッサンばかりの宴会にご参加頂くことになった。本業が旅館の女将さんなので盛り上げ上手とはいえ、オッサンたちのハートはすっかりワシ掴みにされてしまった。

海には人をトリコにする何かがある

その「どうして?」なのだが、江崎さんは鳥羽の老舗旅館「海月(かいげつ)」の女将さんで、鳥羽ならではのユニークなエコツアーを企画、運営する「海島遊民くらぶ」の代表でもある。そのエコツアーを企画、運営する上で、旅館、観光業だけでなく、漁業者の方々と出会い、海女さんたちともと知り合い、その海女さんの「ばあちゃん」たちと話すようになって持った夢だそうだ。

「海に潜ったら、冷たかったり、深かったり、鮫とかが出てきたらどうしようとか、すごく怖いイメージがあって、きっと海女さんたちは大変な思いをして仕事をしているのだろうと勝手に思っていました。でも、実際に話を聞くと、潜るのが楽しくて仕方がないというか、むしろ、潜らないと落ち着かないぐらいの感じで、『あんた、海の中は本当にきれいなんよ。』と教えられました。実際、海から上がった海女さんの目は少女のようにキラキラ輝いていて、その姿を見て、『海には人をトリコにする何かがある』と思い、私もシュノーケリングを始めました。」

「今、漁業権はないんですけど、自分で食べるものを獲れるようになりたいと思っていて、50歳になったとき、海女になろうと決めています。そのために潜る練習もしていますが、もう一つしなければならないことがあります。海女さんが獲るアワビや伊勢エビ等の海の資源が減少していて、海女さんでは生計が成り立たないから、副業や趣味的にしかできないのです。」

10分の1までアワビの漁獲高が減っている理由

「23歳の時、鳥羽に帰ってきた年とその10年後のデータを見ると、10分の1までアワビの漁獲高が減っています。実は、アワビの餌になるアラメも減っていて、アラメは山から川を流れてくるミネラルや栄養素で育つのですが、山が荒れてしまっているのが、アワビが減っている原因の一つではないかといわれています。一次産業が衰退していく中で、鳥羽では初めて、海を守るために、海に面した山々で放置されたウバメガシ等の雑木林や人工林の間伐専門にやる林業を立ち上げてくれた方がいて、そういう人たちを観光業で何とか支え、漁業者の方とも連携して、アラメやアワビを増やすために、山側からも海側からもいい循環を作らなければいけないと思っています。」

「海を守って、もう一度豊かにし、魚介類をもっと増やして、海女さんで生計が立つようにせんとアカンのです。若い海女さんも増えるし、私も海女さんになって、アワビをわんさか獲って、半分は自分たちで食べ、半分は売るような生活もできるでしょ?そのためにも、鳥羽市エコツーリズム推進協議会の活動を推進していこうと思っています。」と、江崎さん。

鳥羽市エコツーリズム推進協議会とは、観光を手段として三重県鳥羽市の自然や歴史文化などの資産を生かし、循環型の地域社会を形成することを目的に2010年に設立され、初代会長に江崎さんが選出された。

「海女さんになりたい」というのは、山も海も含めた地域全体の自然環境保護、循環型の社会の形成につながっていたのである。

実家の旅館「海月」が、突然、倒産してしまった…

kiku-ezaki-3江崎さんは京都の大学を卒業し、東京で勤め始めて1年後、23歳の時に、突然、実家の旅館「海月」が倒産した。家族が大変だと思い、取るものも取り敢えず戻って来た。「海月」は10室ぐらいしかない小さな旅館で、誰も再建に手を上げないだろうと旅館を清算するつもりだったが、やり直す方法もあると教えて下さる方もいらっしゃった。だったら、一生に一回の人生、自分にしかできない仕事をしてみようと継ぐことにしたそうだ。

鳥羽で一番最初に倒産した旅館が江崎さんの「海月」だった。さまざまな工夫をして、いろんなことに挑戦していると、だんだん数字は上向いていった。当初、修学旅行以外の一般のお客様が年間2,500人ぐらいだったのが、3年後には4,400人まで増えたのに、再び、減少に転じた。「こんなにがんばってるのに、何でやろ?」と思って周りを見渡すと、旅館がバタバタと倒産していた。自分の旅館のことだけで精一杯で、全く気付かなかったのである。

新聞やニュースを意識し出すと、伊勢志摩だけでなく、近隣観光地でもまたあんなところ、こんなところが倒産したというニュースが目に入ってきた。世間のイメージも、地域の空気もどんどん悪い方向に変わっていき、いくら自分のところ1軒が頑張っても、地域が落ち込むと引きずり込まれていくというのを身に染みて感じ、町も自然も大好きな鳥羽の地域のために何かやらなければならないと思うようになった。

江崎さんは東京で働いて、僅か1年程で戻ってくることになったが、この先、鳥羽を離れて、10年後、20年後に戻ってくる若者も、住み続ける若者たちもいるはずだ。いくら頑張っても結果が出せない、やる気の出ない地域だったら、心が折れてしまうだろう。うわべだけの町づくりや地域づくりではなく、これから、若い人たちがこの地域で地に足をつけて、仕事をしたり、いろんな事業をやっていく上で、やったら結果が出るような土台づくりをしておこうと思った。

鳥羽に足りないものって何?何をすればいい?

鳥羽は住んでいてすごく楽しいところなのに、駅前に多く立ち並んでいる観光施設からは、そういう地域の本当の姿は伝わってこない。建設費だけでなく維持費も掛かる箱ものやハードに頼るのではなく、観光のあり方を変えていく必要性も感じていた。子供の頃から、海に行って釣りをして、釣った魚を焼いたり、磯で獲った牡蠣を食べる、・・・といった日常がすぐそばにあった。それは、この地域に住んでいるからできることであって、他所から来たお客さんは、そんな楽しみ方を知らないはずだ。

「だったら、自分たちが楽しいと思うことを形にしたら、お客様も喜んで下さるのではないか?楽しんで下さったらまた来て下さるんじゃないか?」と考えた。もっと地域の人々の生活や自然のことを知ってもらえるよう案内できる、海外旅行に行った時のような現地のガイドさんがいたら、この伊勢志摩や鳥羽のよさを伝えていけるのではないかということで、ガイドツアーの会社「海島遊民くらぶ」を設立し、体験実習型の「エコツアー」の企画、運営を始めた。

まずは『釣り』で楽しんでもらうことから始めた。
最初は自分たちが知っている場所だけだったのが、実際に、海や自然の現場に出かけているうちに、図鑑や既成の情報だけではなく、「この干潟にはきっとあのカニがいるはずだ。」とか、見たり、教わったり、経験を重ねてわかってくることもたくさんあった。さらに、調査したり、活動しているうちにさまざまな出会いがあって、そこから無人島ツアー等、どんどんフィールドが広がって行った。

はじめた当初は不安もあったが、「大丈夫、自然が何とかしてくれる!」と信じて、実際、自然の中にいるだけで充分に楽しかった。しかし、自然に依存し過ぎると自然を壊すきっかけにもなってしまうので、『海島遊民くらぶ』では、無人島に行ったりするだけでなく、「私たちと一緒に行ったら、見えなかったものが見えるよ、気づけなかった自然に気づけるよ。」と、自分たちの知識や経験を活かして、どの体験メニューも「参加したい!」と思って頂けるように心掛けた。それこそが江崎さんたちの役割であり、目標と考えているそうだ。

今までの観光とどこが違うの?

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「海島遊民くらぶ」は、地元の皆さんに協力してもらって運営しているエコツアーが多く、今までの観光と違い、誰がお金を払って、誰がお金をもらうのか、入り口と出口がはっきりしている観光ではなく、今まで人が入ってこなかった自然の中や、地域の人々の生活に足を踏み入れていく部分があり、だからこそ訪れたお客様の心を打つのだが、逆に、そうすることは、今までとは違う配慮が必要ということがわかってきた。訪問客と受入れ側、双方の心の持ちよう一つで、楽しくてよい旅になるし、不愉快でよくない旅になる。

そこで、お客様にはモラルを持って旅をしてもらい、地元の人たちも快く観光をよいものとして受け入れもらい、双方がいい状態で旅ができるように、「同じ磯場に3日より多く続けて入らない、磯場の生物を持ち帰らない」等の自然を守るためのルール、「島の人たちの生活の邪魔をしたり、迷惑を掛けない」等の地域の住民の生活に入っていくときの配慮のルール他をつくっていった。

さらに、ガイドツアーの商品づくり、実際のガイド業務を通じて、漁師さんたちと接する機会も増え、観光業に対してのいろんな意見を聞くようになり、地域が抱えている問題というのもよく見えてきた。

「地域の主要な一次産業は昔から漁業で、漁業が盛んだからこそ、それを元に観光が成立して来たのに、二人三脚でやってきた漁業と観光がいつの間にか離れてしまって、仲がよくない。地域をよくするにはお互い協力すべきなのに、漁業従事者は、漁業のおかげで地域が成り立ってると思ってるし、観光従事者は、一番納税しているのは観光業だと思っている。」

「本来なら、漁業に支えられてきた観光が、今度は漁業を支えるべきなのに、支えられてない。鳥羽の魚を使わずに他所から仕入れていたり、人材育成をずっとしてきたはずの旅館業は、人を育てるという手間を省くためにアウトソーシングに走り、地元の人とのかかわりがどんどん薄くなっている。」

「地元の産品を使わない、地元の人々にも働いてもらわない、地域の特色が何もない旅館なら、別にどこにあってもいい訳で、地域にある存在価値、意義がない。地域から必要とされない旅館業、観光業って、外からはどのように見えるのだろう?少なくとも魅力的には映らない。」と思った。

観光が地域に貢献できること

昨今、注目されている教育旅行、教育観光の分野で、離島ツアーを実施して、離島の子供たちにガイドをしてもらうことで、地元の人たちにも地域のよさを知ってもらったり、海女さんの仕事を紹介したり、まち歩きや地域の特産品を使った料理教室まで、地域全体の相乗効果、波及効果を高めるために、漁業をはじめ、地域のいろんな産業の方々と連携してきた。産業としての観光と、まちの基盤としての観光というのを別に考えて、観光が地域に貢献できることに取り組んできた。

「鳥羽には離島が4つあって、離島ツアーをしている島の子供たちに、『しまっこガイド』と名付けたガイドをやってもらっているんですが、最初は、『こんな島なんて何もないから、山も全部削って売ってしまえばいいのに』とか言ってたのに、今では、外国人の人まで案内するようになって、島のよさがわかるようになったのか、『海女さんになりたい』と、海に潜り始めた女子児童もいます。」

「そんなこんなで、あっという間に10年が経っていました。当初から決めていたのは、『地元にある観光資源を大切にして、ちゃんと光を当てて、光り輝くように使わせてもらうこと』と、『思いついたことは何でも、まず、みんなの見本になるように、モデルケースとしてやってみること』の2つです。」

「でもね、いざ始めるとなると一人では何もできないので、行政や団体、色々な方々に相談をしたんですが、当初は、趣旨や目的をなかなか理解してもらえず、涙が出る程、悔しい思いもしたんですよ。それでも、最初から、『自分たちが楽しいと思うことをしよう』と軽い気持ちで始めたので、楽しいことをするための苦労なんてないですよね?全然、大変だなんて思ったことがない。むしろ積極的に楽しんでやっていました。」

「子供だけじゃなく大人も楽しむことが大事ですね。
地元の大人が、なんか楽しそうに遊んでいたら、他所からも、地元からもそう見えるでしょ?参加してみたいと思って下さるじゃないですか?でね、楽しんでやっているうちに、お客様との嬉しい出会いがあったり、地元の人との絆が深まったり、次第に協力して下さる方が増えたり、よいことだらけでした。観光事業者と共に、行政関係、町内会、漁業団体などが参加する『鳥羽市エコツーリズム推進協議会』の発足にもつながりました。鳥羽市は、市民からのプレゼンを募集して、いい企画は後押しするという取組みをしていていますが、『海島遊民くらぶ』がやってきた取組みを鳥羽市全体に拡げようというプレゼンが採用されたのです。」

「当初、最も否定的だった人たちが、今では一番の協力者、支援者になって下さっています。自分達が必要とすることに協力者がいるから成り立っている訳で、それに対してきちんとご恩返しができれば、いい関係を築いて行けるはずです。」

100年後もこのまちで生きていけるように

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「100年後もこのまちで生きていけるように、訪れる人も、また地域の人も、共に幸わせを感じて、育む、『感幸』のエコツーリズムの推進をし、『観光』という手法を使った地域循環のビジネスモデルをつくっていきたいです。それから、海に行くようになって、エコについて考えるようになったのですが、エコっていうのは、生態系ですよね?みんながバランスとって生きることが大事だと思うようになりました。人にも動物にもモノにも、思いやりと愛がある生き方をしたいですね。お客様に対して思いやりを持ったら、『おもてなし』、地域に思いやりを持ったら、『貢献』になるでしょ?思いやりとか気遣いとか、そういう心がけを忘れないように日々を過ごしたいです。」と、江崎さん。

所用で伊勢に行く機会があり、女将をされている「海月」にも泊めて頂いた。残念ながら、その日は風邪をひいておられて、宴会はこちらだけで盛り上がったが(写真はマスクをしている「きくちゃん」と大女将さん)、「食事と女将の笑顔が目的で泊まる宿なんやから、施設の建物のことをどうのこうのと言っていうような客が、泊まる旅館やない。」というファンが多い。常連客の心までガッチリ掴んでおられる。

「きくちゃん」から聞いていた「大女将さんのまかないごはんプラン」でお願いしていたのだが、その日、たまたま、お父様が釣って来られたという新鮮な鯛やメバル他もご馳走して下さった。メッチャ美味しかった。通いつめたらそんなラッキーもあるかも・・・。出発時には、大女将さん特製おにぎりも持たせて下さった。美味しいものを食べると自然にみんな笑顔になる。

「わたし、海女さんがホンマに好きやねん。海と自然と一緒に暮らして、ホンマに楽しそうに仕事してはるねん。でもね、年々、あわびの漁獲高は減っていて、えさとなるアラメという海藻が減ってるのも原因のひとつらしいから、自然を大切にして、山からも海を守っていかなアカンねん。」と、「きくちゃん」に言われると、

誰もが「そうやな、なんとかせなあかんな。」と思ってしまう。

コレゾ財団・賞の趣旨をご説明して、受賞のお願いをしたところ、

「ありがとうございます。お願いされていただくっていうのが、◯◯っぽいですが・・・。」とのこと。

COREZOコレゾ「海女さんになりたい? 観光から感幸へ、地域が循環するエコツーリズム」である。

後日談、「鳥羽市エコツーリズム推進協議会」を見学

こちらの方から鳥羽市に提案した協議会の中身とは?

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2012年10月に「鳥羽市エコツーリズム推進協議会」の会議を取材させて頂いた。構成メンバーは鳥羽市観光課、環境課、観光協会、漁協、森林組合、旅館組合、商工会、環境庁レンジャー、ワカメ養殖業、シーカヤック業、島の旅社や海島遊民くらぶ等のガイド業、等々。「全体構想」、「普及啓発」、「循環連携」などの部会があるようだが、何か全体的にほのぼの感が溢れているというか、代表の「きくちゃん」の人柄というか、ワキアイアイとした会合なのである。

その日のテーマのひとつが「海藻」。漠然と「海藻」なのである。「接客をしていて、お客様側も接客する側も海藻の旬を知らんなぁ。」から始まって、「味付けワカメって食べたことある?この間、試食したらおいしかったで。」、「ワカメは年中あると思てはるやろけど、ワカメ養殖業者からゆわせてもろたら、4月のワカメは最悪で、6〜7月は獲れへんねんで。」、「海苔も一番海苔が一番おいしいて、二番、三番と味がかわるねんてなあ。」、「お茶みたいなもんや。」、「実はな、ワカメの最盛期は12月で、獲れ過ぎたら処分せなアカンねん。」、「それは未利用魚の活用みたいに考えやなあかんな。」といった調子なのである。

協議会が推進するエコツーリズムの基本は、「自分たちの自然環境資源を含めた地域全体を知って、見直し、それを伝え、利用しながら守ること」のようだ。協議会活動指針は「その基本がブレないよう、自ら考え、行動する」、「鳥羽の特徴であるおもてなしと自然環境への思いやりを大切にする」ということらしい。

協議会全体の議事が終わると、「島旅・島遺産フォトコンテスト」、「島っ子ガイドフェスティバル』、「森と海は恋人キャンペーン」、等々、各団体、事業者の企画PR合戦となる。相互での活用が狙いだそうだ。

これからの行政マンを育てる場

会議終了後、さらに江崎さんに伺った。

「あの協議会はこちらの方から鳥羽市に提案してんけど、予算は年間30万しかついてへんから、みんな手弁当でやってて、行政主導ではなくて、協力してくれるという関係やねん。」

「行政には国とか県の制度を勉強してもろて、予算を引っぱって来てもろたら?」

「アハハハ、そんなんまだ無理、無理。そうなっていってくれたらええねんけど、今日、出席してた子ら見てくれはったやろ?よーやってくれる子もいてるねんけど、まだまだ若いし。でもね、あの協議会はこれからの行政マンを育てる場やとも考えてるねん。行政や団体、企業を背負って出席してたら、どうしてもそういう発言になるやん?あの協議会では、今日の海藻のテーマもそうやけど、漠然としててもエエねん。身近な問題を、一市民、一個人として考え、意見を出して、ちょっとづつでも解決して行こゆうてんねん。」

「あの子らも2年ぐらいで違う部署に行ってしまうやん?将来、この協議会で活動した経験が活きてくる時があると思うねん。毎年、何人かづつでも育ててたら、その中から課長や部長になる人も出てくるやん?先の長い話やけど、地域が持続的に活性化して行くためにはそれぐらいの長期でも考えとかなあかんと思うねん。」と、江崎さん。

いやーっ,いちいちごもっとも、以前、お会いしたときよりも更に進化、パワーアップしてはる。昼食をご一緒させてもらったが、「すいませーん、ごはん、おかわりーっ!あれ?他の皆さんは?」と、「きくちゃん」。とびっきりの元気の秘訣はこの辺にありそうだ。残念ながら、同席したおっさん3名はすでに満腹で遠慮した。ご馳走さまでした。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2012.10.

最終更新;2015.03.02.

文責;平野 龍平

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