武富 勝彦(たけとみ かつひこ)さん

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COREZO「食はいのちの源、葦農法を確立し、古代米を復活して、いのちを支える農業家」賞

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武富 勝彦(たけとみ かつひこ)さん

プロフィール

佐賀県江北町出身、在住
有限会社葦農 代表

株式会社武富勝彦食品研究所 代表

ジャンル

農業/葦農法

食品製造販売

経歴・実績

1946年 佐賀県生まれ

県立高等学校の教員を計23年務めるが、病気をきっかけに退職して、農業の道へ

有機無農薬農業を実践するが、生産物が売れないとその農業も生活も維持、継続できない

紆余曲折、どん底も経験し、苦労の末、「十三穀米・穀物三昧」を開発し、農業生産も販売事業も軌道に乗せる。

2002年 日本人初のイタリアに本部を置くスローフード協会の「スローフード大賞」と「審査員特別大賞」を二重に受賞。

地域にある葦を堆肥化して、有明海の生態系を守り、有機無農薬農業で古代米を栽培、普及した功績が海外から逆輸入の形で評価された。

受賞者のご紹介

高校教員から有機無農薬農業の道へ

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アジア人で初めてスローフード大賞を受賞された武富勝彦さんのご高名はかねがね伺っていたが、ご縁があって、屋久島でご一緒する機会があり、懇意にして頂くようになった。

武富さんの日中の普段着は戦闘服である農作業着だ。ガタイもイカツク、「写真では笑わん」というのが信条で、笑顔の写真は撮らせて頂けなかったが、日が暮れて、戦闘服を脱ぎ、お酒が入ると俄然、調子が出て、ご陽気になられる。

進学校の生物の教師を19年間、農業高校の造園科の教師を4年間務め、病気をきっかけに退職して、農業の道に入られた。

元々、ご実家は兼業農家で、退職後、循環農法を学んで、当時の仲間達とアジアの青年達を呼び、その循環農法をアジアに広める生産拠点を千葉に作ろうと活動していたが、出資者が病気になったり、亡くなったり、内部で意見の対立が起こったりして、計画が頓挫してしまい、教員の退職金も底を尽いて、自分は自分でやるしかないと思い、佐賀に戻ってこられた。

その頃、知り合いが熊本に2町歩程農場を買ったので手伝って欲しい、と頼まれ、高速道路を使って佐賀から熊本まで通い、手伝い始めた。宿舎も自分で建てて、8割方完成した頃、今度は、武富さんの住む町の役場から有機農業研究会を立ち上げるので中心メンバーとして参加して欲しい、という依頼があった。

当時、教員を辞めて、農薬も除草剤も使わず、田んぼに這いつくばりながら草むしりをして、有機無農薬農業をやっていた武富さんは、町でも変わり者で通っていた。そんな武富さんに町役場から依頼があったので、他人の農場を手伝っている場合ではないと思い、江北町に戻り、12軒程の農家が集まって、研究会が発足した。

大半が専業農家だったが、役場が研究会を主催しても、生産物を買ってもらえなければ、有機農業も研究会も続けられない。当時、有機無農薬農業の米はなかなか買ってもらえなかったが、歌手の加藤登紀子さんのお亡くなりになったご主人が立ち上げた、全国に有機無農薬農業生産物を販売している「大地を守る会」にお願いしたところ、すぐに米の担当者が自分たちの町にやって来て、買ってもらえることになった。

ところが、3年も経たないうちに、全国で無農薬有機栽培の米の生産が増えて、余り気味になり、「大地を守る会」の拠点が関東なので、九州からでは流通コストも合わなくて、買ってもらえなくなった。それがきっかけで、武富さんは1995年に米を買い取って販売する会社をご自身で立ち上げた。最初は佐賀県有機農業生産者グループを作って、買い取っていたが、徐々に足らなくなって、今では、九州有機農業生産者グループを作って、全国に販売をしている。結果として、大成功し、2010年にはニューヨークでも販売を始めた。

武富さんの会社の販売品目は98%が自社ブランドの「十三穀米」で、他に販売会社に卸したり、販売会社のブランドで袋詰めしているものもある。

黒米、赤米、緑米等の古代米の復活

1998年、当時、玄米食をしていた武富さんは、古代米の黒米を食べる機会があり、「これは力のある米だ。」と強いインパクトを感じ、作ってみたいと、鹿児島の米農家の知り合いに相談したところ、黒米の種籾を一握り分けて頂き、ご自分で増やしてこられた。古代米にはその他に緑米や赤米があり、色のついた米に興味があったので、栽培方法を研究して、他の農家にも作ってもらうようになった。

古代米を普通のお米に混ぜて食べるという提案をして来たが、その3種類の古代米を混ぜて食べたいという消費者の声や、また、販売させて欲しいという販売業者からの依頼があり、販売してもらったところ、注文が殺到して、古代米も普及して行ったそうだ。

葦農法とは?日本人初の「スローフード大賞」受賞までの経緯

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武富さんの田んぼでは、河原の葦を刈って来て、米糠と水を混ぜて発酵させ、堆肥にして、農薬や除草剤や化学肥料は一滴もやらないという農法を続けてこられたが、2002年に、武富さんが6反程、緑米を収穫したことを農林水産省が佐賀県代表として取り上げた。

それが、農林水産省の広報誌だけでなく、インターネットでも紹介されたようで、それを見た日本スローフード協会の方から詳しく聞きたいとファックスが届いた。直接、電話をもらっていたら、スローフードのことは何も知らんし、「よかです。」と断っていたのに、筆無精な武富さんが、たまたま返事を書いて、黒、赤、緑の古代米のサンプルを入れて送ったところ、その担当者が締め切りまで1週間しかないのに、英文で推薦状を書いてイタリア・トリノのスローフード協会本部に送って下さったそうだ。

堆肥にする葦を刈っていたら、携帯が鳴って、汗だくだったし、「何ば?携帯はよか。」と思いつつ、たまたま出たら、イタリアから現地調査に来るという。マスコミは勿論、親戚縁者にも一切他言は無用という条件付きで、イタリアから女性の調査員が通訳を連れてやって来た。3泊4日、つきっきりで調査、取材を受けて、50ページのレポートを書いてくれたそうだ。

その時、世界各国から188組の推薦があり、その内の20組に選ばれての2次審査であることを聞いた。

その女性調査員は、「またトリノでお会いしましょう。」と言い残して帰国し、2次審査通過13組の内の1人に選ばれたという通知が来た。「スローフード」が何だかよくわからんし、賞金とメダルか賞状だけ送ってもらえばよか、と思っていた。

実は、武富さんは飛行機が苦手なので、13時間もかけてイタリアには行きたくないというのが本音だったそうだ。

そのうちに、推薦して下さった日本スローフード協会の方から「日本人初のスローフード大賞受賞おめでとうございます。トリノでお会いしましょう。紋付羽織袴でお越し下さい。」というファックスが届いた。

「紋付羽織袴とは何ごとじゃ?これは行かんばならん。」とピーンときて、武富家の紋の入った紋付と袴を風呂敷に包んで、東京に行き、成田発の航空機に搭乗した。その機内で、推薦して下さった方に初めてお目に掛かって、ご挨拶したというのが、スローフード大賞受賞までの経緯だ。

併せて「審査員特別大賞」も受賞

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トリノでの滞在は1週間程で、マスコミや日本からの応援団の方々とスローフード大賞受賞式に出席した。

13組の表彰が終わって、「只今から審査員特別大賞の発表を致します。」とアナウンスがあったが、武富さんには関係がないとぼんやりしていたら、「あなたの名前が呼ばれていますよ。」と言われ、慌てて壇上に上がると、1位のガテマラのグループと1票差で審査員特別大賞の5組にも選ばれて、再度、表彰された。

審査員特別大賞は全世界の審査員500人が1票づつ投じて選ばれるそうだが、これには、武富さんだけでなく周りの皆さんも驚いていたという。

「二重に表彰して頂いたのは、農薬、除草剤、化学肥料を使わず、地域にある葦を堆肥化して、有明海の生態系を守りながら古代米を栽培、普及したということだけでなく、不登校や問題のある子供達を受け入れて、ウチに寝泊まりさせて、一緒に堆肥作り、土作りから農作業をして、社会に送り出してきたことも評価されたのではないか、と私は個人的に思っています。」と武富さん。

武富さんはそんな子供たちを延べ十数名受け入れて来られた。教師を辞めて、有機無農薬農業をやっておられるのを聞きつけて、そういうところに預けたら、なんとかなるのではないかと、連れて来られるそうだ。頼まれたら断れない性格なので、全員引き受けて、巣立った子供達には農業だけでなく、お坊さんになった人もいるという。

まだ、宿舎までは作っておられないが、これから全国の有機無農薬農業をやりたいという人たちを本格的に受け入れて、支援するためには、宿舎も用意せんといかんな、とまた考えておられること。

国産有機無農薬大豆はタダでも引き取ってもらえない!?

仲間の農家が有機無農薬で育てた大豆を買ってくれるところがなく、捨てるのはもったいないと、一緒に引き取り手を探したが、どこの醤油や味噌のメーカーや豆腐工場も、製造ラインは輸入大豆の規格に合わせて調整されていて、規格が違う国産大豆を原料に使用するには、ラインの全ての機械の調整を行い、また戻すという手間が掛かり、無料でも要らないと断られたという。

その悔しい経験を元に、買い取ってくれるところがないなら、味噌や醤油を自分たちで作ろうと製造、販売を始めた。希望者には自宅でも作れるよう、講習会も開いておられる。

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武富さんは、自分たちの作った有機無農薬農業の作物をおいしく食べて頂く為に料理の研究もしておられて、福岡や佐賀で調理の指導や、教室も開催されている。また、野菜や料理を引き立てる調味料にもこだわっておられて、先の味噌や醤油の他にも、美味しく、身体に良い塩の研究、開発まで手がけておられる。

武富さんの手料理をよく御馳走になるが、素材を活かした調理、味付けで、野菜がこんなに美味しかったのかといつも感動する。それもそのはずで、お付き合いのある京都の老舗や新進気鋭の料理店の料理人たちからも一目を置かれる程の腕前で、毎回、こだわりのそば粉を使った手打ちそば、有機無農薬のレンコンを原料にしたレンコン麺など、趣向を凝らした料理を振る舞って下さる。

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そのほとんどが武富さんの仲間の生産者の顔の見える食材で、採算が取れる農業を目指そうと、商品化、販売、流通他に協力しておられ、人望も厚い。

実は、手打ちそばをご馳走になった時の「かえし」があまりに美味しかったので、尋ねると、武富さんの醤油と角谷文次郎商店の有機三河みりんしか使っていないと伺って驚き、それ以来、角谷文次郎商店の有機三河みりんの大ファンになった。

食は命の源、農業は命を支える大切な産業

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 過日、佐賀県江北町の田んぼで、農学部の学生さん達が武富さんから古代米の田植えの指導を受ける農業実習を見学させて頂いた。実習終了後、実習に来ていた学生さん達全員の目を見て、武富さんはおっしゃった。

「君たちのような若者が農業を志してくれて本当に嬉しい。君たちは日本の宝です。ありがとう。」

「食は命の源であり、農業は命を支える大切な産業です。農業を志す人が増えたり、消費者の皆さんに関心を持って頂くことは大事なことです。私の話がおもしろいかどうかはわかりませんが、その役に立つことであれば、私のできることは、何でもやらせて頂こうと思っています。」と武富さん。

武富さんは農業関係では大変有名な方だが、お話しを伺い、取り組みを拝見すると、農業のことを全く知らない者でも、いつも深い感銘を受ける。是非、広く一般の方々にも武富さんのことを知っていただき、関心を持って頂きたいと思う。

COREZO(コレゾ)「食はいのちの源、葦農法を確立し、古代米を復活して、いのちを支える農業家」である。

武富 勝彦(たけとみ かつひこ)さんに関するお問い合わせは、

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

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十三穀米

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02

最終取材2014.12

更新;2015.02.17

文責;平野龍平

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