伊藤 有紀 (いとう ゆうき)さん

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COREZOコレゾ「『まちや紳士録』で監督デビューし、地方での活動から映画業界のスキマ産業を目指す、八女在住の映画監督」賞

伊藤有紀(いとうゆうき)さん

 

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プロフィール

映画と絵本のoffice ARIGATO代表

映画監督/ 日本映画監督協会会員

1979年、三重県桑名市生まれ。

日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻修士課程修了

映画・ドラマの助監督を経て、フリーのディレクターに

旅番組、ショップ番組、ドラマ、行政・企業VPなどを制作

旅番組の博多ロケが縁で東京から福岡に移住し、テレビCM制作に携わり、独立

2012年、結婚を機に八女市の古い町家に移住

2013年、劇場用長編映画「まちや紳士録」

2017年、「人情噺の福團治」

 

受賞者のご紹介

三重県から映画監督を目指して東京へ

伊藤有紀(いとうゆうき)さんは、福岡県八女市在住の映画監督。

2012年、八女市に移住後、劇場用長編映画「まちや紳士録」(2013年製作)で監督デビューし、福岡県八女市中心部の重要伝統的建造物保存地区である福島の古い町並み保存に奮闘する人々の姿を描いた。

映画製作は、東京が主流だと思うが、どうして地方に暮らしながら映画監督をしておられるのだろうか?

伊藤監督は、三重県桑名市生まれ、子供のころから映画好きで、隣町の四日市市の映画館に通った。日本大学芸術学部映画学科監督コースに進学し、修士も含めて六年間、映画を学んだ。

卒業後、フリーの助監督・制作進行として、映画の世界に入ったが、食うや食わずの状況でプロの厳しさに打ちのめされた。

その後、制作会社のAD等を経て、フリーのディレクターとして独立し、スカパーの旅系番組の仕事で、低予算の中、演者、ADと3人、車1台で3~4泊のロケに行き、1週間ぐらいかけて編集しては、また出かけ、月に2本の番組制作する生活を続けて、2年3か月かけ日本を一周した。

東京から地方のいいところだけを撮りに行って、いいように接していただけなので、非常に身勝手なコミュニケーションしかしてこなかったが、駆け足で日本中を廻るにつれ、日本は東京だけじゃない、と思い始めた。

東京から九州へ

そんな中、福岡の企業の方と出会って、博多に移り住むことになった。九州ローカルのCM制作チームの仕事に就いたが、映像の部署を始めたばかりの会社だったので、元々の社員さんたちとのコミュニケーションが上手くいかずに、1年足らずで辞めた。

フリーになって直ぐに、仲間から「九州ちくご元気計画」という、福岡県南部の伝統産業を活性化して雇用創出する、という厚労省の補助金事業の話が舞い込んだ。

それは、民間からプロデューサーが入った3年間の事業で、通常、報告書は書面なのに、DVDで提出するという企画が通っていたので、毎年実施した事業を映像で追い、1年毎に報告用のDVDを製作した。

八女への移住

その事業のスタッフで推進員をしていた白水さん(「うなぎの寝床」代表)と知り合ったのですが、入籍して住まいを探していたところ、白水さんが住んでいた八女の町屋を紹介され、2012年3月に八女に移住した。

劇場用長編映画「まちや紳士録」

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ちょうどその頃、筑豊の炭鉱町だった直方(のおがた)出身で東京在住の映画プロデューサーが帰省した際に、八女福島の燈籠人形(からくり人形)を観に来て、八女の伝統文化や町屋再生活動に興味を持たれたらしく、町の人づてに、「映像をやっていたなら、撮り続けないか?」と、声が掛かった。

映画を製作するには約1,000万円掛かると聞いた、当時、NPO八女町家再生応援団の代表だった北島力(きたじまつとむ)さんたちは、実行委員会を立ち上げて、文化庁の芸術文化振興基金200万円の支援を受け、また、1口1万円で出資を募って、600万円が集まり、足りない200万円は、八女市内の各地域に1回10万円で上映貸出することで同意してもらい20口集める算段が整ったところで、2014年度のサントリー地域文化賞を受賞し、賞金200万円をもらえて、DVD化する費用等も賄えたそうだ。

この「まちや紳士録」は、資金集めと並行して、撮影が始まり、2013年3月に撮影が終わって、同年12月に福岡のKBCシネマで初上映された。

筆者は、2010年に北島力さんに出会って以来、都度、八女福島の町並み再生の取り組みを拝見してきたのだが、今の状態にまで再生され、再活用されているのは、奇跡に近いことで、この町に住む人たちのこの町並みを残したいと云う強い思いと知恵と行動力が結集し、いろんな幸運な出来事が重なって、こんな奇跡を引き起こしたと推察しているのだが、この映画では、それらの町家を守ろうと奮闘する行政、民間、建築家、大工、職人他の人たちの姿が描かれていた。

「まちや紳士録」に込めた想い

プロデューサーの中には、「町家」というキーワードがすでにあったが、伊藤監督は、撮影が進むにつれ、「町家」そのものよりも、八女の「人」の方へ関心が深まっていったという。

「撮影の最初の頃は、移り住んだばかりだったので、どうしても他所者目線になっていたでしょうし、八女の人たちからすると、他所者は、他所者ですよ。でも、僕自身、映画を撮りながら、一時的な盛り上がりではなく、ずっと続けてきた営みとしての『町家を守りたい』という人々の想いを感じるようになっていきました。」

「今、スマホは、当然のように手元にあって、何でもすぐにできる『便利さ』と『スピード感』を誰でも簡単に手に入れられる時代になりました。」

「何でもあって、お金さえあれば、何でもすぐにできてしまうのが東京ですよね。いろんな人やモノやコトが集まってきていて、刺激に溢れていて、地方より断然、面白いのは確かです。僕もそうだったのですが、そういうのに憧れて、上京する人も多いけれど、経済最優先、スピード重視、大量生産、大量消費…、それらの先頭を切って走っているのが東京ですから、そこでの生活が精神的にもキツくなってしまう人もいます。」

「僕自身、東京で11年間も生活して、何となく違う、という違和感を持ち続けていて、旅番組の製作を通じて、「地方」というものに関心を持つようになっていた頃に、偶然、博多の会社から仕事の依頼がきて、福岡に移り住みました。」

「久留米に住んだ後、八女に来たのですが、こちらに来て何か光が見えたような気がしました。八女の時間はとてもゆっくり流れていて、それが自然で、何も無理がありません。八女に住んで、『生きるってこういうことかな』って、感じました。」

「この映画は、単なる『町家の伝統を保存していく記録映画』ではなく、町家を守ろうと奮闘する人たちの姿を描いています。その姿を通して、古い町並みを残し、伝統や文化、職人の技術を残す重要性というメッセージだけでなく、地方で生きる人たちの心や今の僕たちに語りかけてくるものを感じ取ってもらえれば、と思っています。」

上映実績

「劇場、ミニシアター、出張上映会を含め、延べ百数十回(取材時)ぐらいでしょうか、映画と云うものは、劇場、ミニシアターでの公開の際に情報発信して、公開後の観客の口コミで拡げ、上映が一段落したらDVD化する、という流れなのですが、メインのテーマが町並み保存なので、浅く広くは、拡がり難く、北島さんが受けた50箇所近くは、全て町並み保存活動をしている、あるいは、しようとしている地域だったこともあり、視察や移住希望者が増え、狭いけれど、深い、という相当の効果はあったと思います。」

第2作目人情噺の福團治」(2017年)

「『人情噺の福團治』では、資金集めから、撮影、編集、映画館と折衝する配給まで、全部やらなければならない状況で、それに加え、知らなかった落語業界のいろんなことを解決しながら進めなくてはならず、1本目の『まちや紳士録』が如何に恵まれていたのが、2本目をやってわかりましたね。」

次回作

「次は、劇映画ですね。僕の出身地の三重県桑名で生前、小学校の教師をしておられて、僕の恩師でもあるのですが、その先生の児童文学作品をドラマもので映画化しようと、2本目の反省を活かして作品として残るものになるように構想を立てながら、製作委員会の組織づくりから、ここ1年動いていて、早ければ来年、遅くても再来年には完成に漕ぎつけたい、と考えています。」

八女で監督業を続ける理由

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「映画業界も東京一点集中していて、映像の仕事だけを取れば、都市部の方が確実に多いのが現実です。」

「いい作品をつくれば財産になります。東京で予算を集めて、ロケに行って、東京から公開して、終わり、というメインストリームの東京方式でなくではなく、地方と云うより、今いる場所から、ずっと根強く残る、しっかり考えた作品をつくって、自主上映でもいいので、いい形の広がり方を狙いたいですね。」

「東京にいた時も出た後もそうでしたが、声が掛かるがまま、好奇心のまま、フラフラしていて、八女に来たことで生きる上での背骨のようなものができて、地に足がついた感覚を持てました。」

「ここ八女は、生活面、人間関係では恵まれていますが、大変なのは経済面です。でも、ここに住むようになったおかげで、映画を監督することができましたし、それで、既に会員だったドキュメンタリー映画監督からの推薦をもらって、日本映画監督協会に所属したおかげで、近隣地域からも、映像製作やローカルなイベントでの映画に関する講師やディレクション等で声が掛かるようになって、なんとか生活はできています。」

「九州ローカルのイベントに東京から映画関係者を呼ぶと、旅費もギャラも高額になってしまうので、八女に住んでいる僕に声が掛かるのでしょうけど、それはそれで有難いことで、この地に住んでいることが強みになっていることもあります。」

じっくり時間をかけていい映画をつくっていきたい

「『まちや紳士録』を撮影していた時に住んでいた家から少し離れた地区に引っ越したのですが、地区が違うだけで町内会のしきたりや流儀が微妙に異なっていて、この地域の文化の奥深さを感じています。生活者としてしっかりこの地に暮らしながら、じっくり時間をかけていい映画をつくっていきたい、と願っています。」

「それは、この地に住んでいなければ、まず、東京ではできないことです。東京では、製作条件に縛られ、時間に追われで、もちろん同業他社やライバルもひしめき合っている訳ですから、やりたいことができるのはほんの一握りの人たちだけです。」

「こういう感覚を持って、八女で暮らし、活動をしながら、東京でも勝負ができたら面白いと思っていて、映画業界の中のスキマ産業を目指しています。」

 

COREZOコレゾ「『まちや紳士録』で監督デビューし、地方での活動から映画業界のスキマ産業を目指す、八女在住の映画監督」である。

 

取材;2018年10月

最終更新;2019年6月

文責;平野龍平

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